2013年01月22日 13:52

大正から昭和初期に活躍した企業家が憧れた人の名は・・・

新子、菜の花、うすい豆、新じゃがいも・・・食卓には春の味覚が目立つようになりましたが、寒さはいよいよ本番。寒の入りから節分までが、一番寒いんですよね・・・。寒さに弱いあお吉としては、家に籠って読書三昧!という季節です。

読書といえば、昔は、誰もかれもが学校に行って学べるというわけではなく、独学でいろんな知識を身に着け、実践された企業家が多いですよね。企業家の足跡を眺めていてよく目にするのが、福沢諭吉の『学問のすすめ』、『世界国尽』、『西洋旅案内』。福沢諭吉は、自身が海外で見てきたこと調べてきたことをかなりの数の書物として発表していますが、ほとほとすごいとあお吉は思います。

産業経済にまつわる物の始まりをたどって行くと、その多くは福沢諭吉に辿り着く。そんな感じがします。 例えば、“保険”。これも1867年に刊行された『西洋旅案内』で紹介されています。 「災難請合の事―インスアランス―」という表現で、「人の生涯を請け負う事」「火災請合」「海上請合」。生命保険、火災保険、海上保険の3種類が紹介されており、その仕組みについても分かり易い表現を使って説明されています。(保険会社の年史などをひも解くと、業界の歴史を説明する部分に引用されています。)

複式簿記を日本に導入したのも諭吉。資産状況を表すバランスシートを貸借対照表と訳し、「借方」、「貸方」の訳をつけたのもそうです。もっとも、この訳にはあまり意味はないそうで、右側か左側かを覚える時、「かり」「かし」とひらがなで書いて、最後の一画がどっちを向いているかで覚えろ!と学生時代によく言われたことを思い出します。

大阪企業家ミュージアムでご紹介している薬業界関連の企業家の中にも、福沢諭吉から影響を受けた方が2人いらっしゃいます。大日本除虫菊の創業者、上山英一郎氏と森下仁丹の創業者、森下博氏です。

明治の広告王と言われた森下博氏。奉公先近くの学校の先生からの勧めで読んだ『学問のすすめ』、『世界国尽』に大変感銘を受けたそうです。この森下博氏は、1938年(昭和13年)に日本広告連盟から第二回「連盟賞」を贈られているのですが、第一回の授賞は、なんと福沢諭吉。(『森下仁丹80年史』に書いてありました!)憧れの諭吉先生がもらった賞を自分も・・・・。感激はひとしおだったのではないでしょうか。

この森下仁丹創業者・森下博氏の企業家精神について、2月に講演会を開催いたします。是非、ご参加下さいますよう、ご案内申し上げます。

★【ナイトミュージアム講演会】 2月13日(水)18:00-19:30
“広告王”森下仁丹創業者・森下博の企業家精神
~銀粒仁丹からシームレスカプセル。新たな飛躍へ!
講 師:森下仁丹株式会社 執行役員 経営企画部部長 森下雄司 氏
http://www.osaka.cci.or.jp/b/pdf13/250213nm.pdf

投稿者 museum | 2013年01月22日 13:52