2016年04月07日 14:12

五代さんと桜

こんにちは、あか吉です。

あっという間に満開になった今年の桜ですが、皆さんお花見に行かれましたでしょうか?今日の雨で随分、散ってしまうかもしれませんね...涙。

サクラ.jpg

あか吉が思い出す桜の名所は、大阪城公園と造幣局。

大阪のお花見は、3月末に咲き始めるソメイヨシノの大阪城公園からスタートし、4月中旬の八重桜満開の造幣局で終わるイメージがあります。

その造幣局の「桜の通り抜け」が4月8日(金)からスタートします!(4月14日(木)、までの7日間です)

さて、我らが(笑)五代友厚さんがこの造幣局(当時は大阪造幣寮)の設立に関与されたのをご存知でしょうか?

五代さんは欧米諸国との交易を促進するためには、まずはわが国の貨幣の統一や品質改良が急務だと考え、貨幣鋳造の近代化を進言しています。

こういった動きもあり、1868年、政府は洋式設備による近代造幣工場の建設を大阪に決定しました。

造幣工場の建設にあたって、当時外国事務局判事であった五代さんは旧知の英国商人トーマス・グラバーに依頼して閉鎖状態にあった香港造幣局の中古機械一式を6万両で購入することに成功、1869年10月、香港から機械が到着、天保山沖から淀川を遡り川崎(淀川・桜の宮対岸)に陸揚げされたということです。

そして1871年4月、大阪造幣寮創業式典が盛大に行われ、明治維新の大事業であるわが国の貨幣制度の大革新が達成されました。 ※参考資料:「五代友厚小伝」(大阪商工会議所)

 

大阪取引所や大阪商工会議所の設立など、五代さんが大阪の近代化に貢献されてきたことを本ブログでもたびたびご紹介してきましたが、貨幣制度の基盤づくりにもかかわっていたとは「びっくりポン」 (笑)。五代さんの活躍にはホント頭が下がります。

 

「桜の通り抜け」がスタートしたのは1883年。五代さんが亡くなったのはその2年後の明治1885年。もしかすると、晩年の五代さんも造幣局の桜を愛でたかもしれません。

 

「五代さんが見た桜...。」

今年は、明治の初め疾風のごとく大阪を駆け抜けた五代さんに思いを馳せながらの桜の通り抜けも、また一興かと思います。

投稿者 museum | 2016年04月07日 14:12