2015年12月05日 11:21

五代ゆかりの地めぐり

こんにちは。りょく吉です。

2015年も残すところ、あと一月となりました。時の経つのは速いですね(いつも言っている気がしますが)。皆さん、いかがお過ごしですか。今年の11月は比較的暖かい日が続いていましたが、先週から急に冷え込んできました。これから一段と寒さが厳しくなりますので、体調管理には十分お気をつけください。

 さて、りょく吉は11月28日(土)に鹿児島のNPO法人が主催する「明治維新150周年カウントダウン薩摩ゆかりの地まち歩き~五代友厚が歩いた大阪のまち~」に参加し、午前中に7カ所ほど薩摩ゆかりの地を巡ってきました。そのうち、ここでは特に五代にゆかりの深い薩摩藩蔵屋敷跡や西朝陽館跡、大阪会議の開催の地についてご紹介します。

 現在、NHKの連続テレビ小説に五代が登場していることもあり、今回のまち歩きへの関心も高く、当日の参加者はスタッフ、県政番組の同行取材も含めて総勢26人。まち歩きにしては少し多いのですが、幸い土曜日でしたから、交通量も少なく歩道もすいていて、ゆっくりと見聞きができました。案内人は主催NPO法人の代表者。普段は鹿児島で活動とのことですが、大阪の地理にも詳しく大変分りやすい説明でした。

 

五代ゆかりの地の最初の訪問は土佐堀2丁目の薩摩藩蔵屋敷跡。薩摩藩の蔵屋敷は大阪に上屋敷、中屋敷、下屋敷があったそうですが、訪れたところは上屋敷跡。ここ土佐堀川沿いや中之島、堂島界隈は江戸時代、各藩の蔵屋敷が立ち並び、各地の米や特産品の一大集散地でした。現在は三井倉庫さんで、名残りとして南東の一角に碑が立っています。藩士時代の五代も来阪の際には、蔵屋敷に逗留し、ここを拠点に活動していたと思われます。(写真は案内人のNPO法人代表者・東川隆太郎さん)

IMG_0310.JPG

次は堂島3丁目、NTTテレパーク堂島第二ビルの堂島川沿いにある製藍工場跡です。「五代友厚精藍所西朝陽館跡」の碑があります。朝陽館は明治9年に五代が国内の製藍業の保護と輸出を目的として設立した会社で、「西」とついているのは、東京の朝陽館と区別するためです。明治天皇の行幸もあり、その碑も並んで立っています。ここは経営的にはあまりうまくいかず、弘誠館(鉱山会社)の儲けも注ぎ込んだのですが、明治16年に閉鎖となりました。五代は製藍業にたいそう力を入れていて、開業年に生まれた次女に藍子と名付けたほどでしたから、閉鎖は残念な出来事だったと思います。ちなみに、この場所はもと大村藩の蔵屋敷があったところで、「大村藩蔵屋敷跡」の碑もありました。

IMG_0324.JPG

三番目は北浜の大阪会議開催の地(花外楼)です。五代は実業家になってからも大久保利通と親しく、大久保の「知恵袋」として知られていました。そのうち最も特筆すべきは明治8年の大阪会議での活躍。大阪会議は新政府の大久保利通と台湾出兵に反対して下野した木戸孝允、征韓論に敗れて政府を去った板垣退助らが和解した会議で、花外楼で関係者が一堂に会しました。五代はこの時、大久保に自宅を宿として提供するとともに、関係者間の裏方・調整役を務めました。この大阪会議により木戸と板垣は政府に戻ることになりました。花外楼の入り口に「大阪会議開催の地」の碑が立っています。

 

ミュージアムでは大阪商工会議所初代会頭である五代友厚が没して今年で130年になりますことから、8月4日から特別展示「大阪の恩人・五代友厚」を開催しています。りょく吉は普段、来館の方々に五代の優れた事績をゆかりの品やゆかりの地とともに紹介しているのですが、恥ずかしながら、これまで市内の五代ゆかりの地を訪れたことがありませんでした。今回のまち歩きで、実際に現地で見聞したことを、今後の館内での案内に活かしたいと思っています。まだ、お越しでない皆様、どうぞ、お誘い合わせの上ご来館ください。今回のまち歩きでブラッシュアップ(?)した解説でお待ちしています。

投稿者 museum | 2015年12月05日 11:21