2015年10月13日 10:51

薩摩出身の五代友厚

こんにちは。りょく吉です。

10月も早や半ばとなりました。夕暮れがずいぶん早くなり、朝夕に肌寒さを感じる今日この頃ですが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 

今回は、りょく吉の家庭菜園の話題からです。春に植え付けた「さつまいも」が「実りの秋」を迎え、先日、家族で収穫しました。自分で世話した作物が、病気や害虫に負けず大きく育ち、収穫日を迎えるのは、とてもうれしいものです。その収穫も一人でするのではなく、大勢だったら楽しさも倍増。今回は大人たちに混じって、2歳半の孫も一緒でしたから、「土の中から大きなイモが出てきた!」とか「ぶどうのようにイモがついている」とか、まあ、ワイワイガヤガヤ、実に賑やかで楽しいひとときでした。(写真は掘り出したばかりのさつまいも)

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秋は「さつまいも掘り」や「稲刈り体験」はじめ、「りんご狩り」や「みかん狩り」など、各地の観光農園でさまざまな野菜や果物の収穫が体験できます。このような場を利用し、皆さんも「収穫する楽しさ」を味わっていただけたらと思います。特にさつまいものように土の中で育つ「いも類や根菜類」については、掘り出すまでどのようなものが出てくるか分かりませんので、期待を込めて「大きないも、出てこい!」と念じつつ掘るのは実に楽しいですよ(ただ、反対にがっかりすることもよくあることですが・・・・)。

 

今回、さつまいもの話題を書くにあたり、さつまいものことを少し調べてみました。「さつまいも」――その原産は中米で、1600年代初めに中国から琉球に、その後、薩摩に伝わり薩摩で栽培が始まった。当時は「唐芋(からいも)」と呼ばれていたが、1732年の「享保の大飢饉」を機に注目を集め、江戸でも栽培が奨励された。薩摩から伝わったいもなので「薩摩芋(さつまいも)」と呼ばれるようなった――なるほど、さつまいもの名前の由来はこういうことだったのですね。りょく吉はてっきり、薩摩生まれのいもだから「さつまいも」と、思い込んでいました。今回、ひとつ賢くなりました。

 

前振りが長くなりましたが、大阪企業家ミュージアムで「薩摩」と言えば、そうです、「五代友厚」です。薩摩出身の五代はこのミュージアムを設立、運営している大阪商工会議所の初代会頭を務めました。その五代が没して今年は130年目に当たりますので、ミュージアムでは現在、没後130年「大阪の恩人・五代友厚」の特別展を開催しています。

 

五代は1836年、薩摩藩の儒者の家に生まれました。維新後、新政府の高官として大阪に赴任、ここからが五代と大阪との関わりのスタートです。当時の大阪は維新により、蔵屋敷や米市場の廃止、御用金の焦げ付き、株仲間の解散等で経済は大きく混乱していました。そんな中、五代は役人として大阪開港業務や造幣寮の開設に尽力しますが、横浜転勤を機に実業界に入り、自ら数多くの事業を興すとともに、有力財界人と協力して「阪堺鉄道」「大阪商船」など産業基盤となる事業を次々と立ち上げます。また、経済界のリーダーとしても活躍し、「大阪株式取引所」(大阪取引所の前身)、「大阪商法会議所」(大阪商工会議所の前身)などの設立に主導的役割を果たすものの、49歳の若さでその生涯を閉じます。

 

維新の混乱で衰退した大阪経済に再び活力を取り戻すべく、さまざまな事業や組織を設立し、「近代大阪育ての親」と称された五代。ミュージアムではその人となりや優れた事績を四世長谷川貞信氏の錦絵20枚と貴重なゆかりの品で紹介しています。会期は12月18日までですので、ご都合の良い時にお誘い合わせ、ぜひお越しください。

投稿者 museum | 2015年10月13日 10:51