2014年07月05日 19:07

企業家ミュージアム★メールマガジン★ 第36号!

>>2014年7月5日(土)発行<<

みなさん、こんにちは。
「企業家ミュージアム メールマガジン」第36号の本号は、毎日新聞月曜日
夕刊に2012年4月9日から2014年1月27日まで掲載していた、企業家
の名言や座右の銘をコンパクトにまとめた『大阪の道標』の第15回です。
ミュージアムで紹介している企業家たちの珠玉の名言、座右の銘をお楽しみ
ください!
 
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 ★今月の名言!(第15回)★

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自分の魂を打ち込んだ品物を創りだすこと、
又其の品物には正しき意味に於ける商品価値を具現せしむること
 
        久保田権四郎 クボタ創業者(1870~1959)

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1870(明治3)年広島・因島の農家に生まれた権四郎は14歳の時に一人、近代
的な造船業を目指して大阪に向かった。知人のいない町を歩き回りやっと見つけた
仕事が鋳物屋の子守、使い走りであった。誰も技術を教えてくれない中、見よう見ま
ねで技術を習得していった。後にその熱心さが認められ、本格的に教えを受ける
とたちまち頭角を現し、19歳で独立を果たした。

明治の時代、日本は数年おきにコレラの流行が続いた。水を介して広まる伝染病対策
のため政府は水道施設の整備を進めた。多くの鋳物業者がその製造に挑戦をしたが技
術不足で失敗が続いた。
 
権四郎は鉄管製造こそ国益にかなう事業と考え、「外国人にできて日本人にできない
ことはない」の信念で挑戦を続けた。7年目の1900(明治33)年に初めて「合わ
せ目のない鋳鉄管」の製造に成功。13(大正2)年には従業員1200人を 超える
大企業へと急成長を果たした。その後も、工作機械、エンジン、耕運機とさまざな事
業を展開した。

製品は、技術的に優れていることだけでなく、国の発展に、社会の皆様に役立つもの
でなくてはならない。そのDNAは今もクボタの経営理念に受け継がれている。

                     <毎日新聞 2012年9月3日 夕刊>
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久保田権四郎については、企業家ミュージアム<第2ブロック:大衆社会の形成―
重工業発展の基礎を築く>で、鋳鉄管と産業機械の技術革新に情熱を注いだ人物と
して展示しています。

  ▼大阪企業家ミュージアムで展示している企業家についてはこちら。
  http://www.kigyoka.jp/exh/ent/index.html
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■編集後記■

お読みいただき、ありがとうございました。
 
「外国人にできて日本人にできないことはない」という強い信念のもと、先進国
である欧米に追い付き追い越せと孤軍奮闘した明治時代の企業家達。
権四郎の事績からもその熱い思いが伝わってきます。

欧米技術の模倣からスタートしながらも、常に改良を加えながら独自の技術をつ
くりあげた日本のモノづくりの原点はこの時代にあった気がします。

先人たちのあくなき「チャレンジ精神」の上に、今の我々の快適・便利な生活が
成り立っています。当たり前のように使っている製品や技術は、どれだけ多くの
人たちの汗と涙の結晶なのか…。
 
平成の時代を生きる我々も今一度往時に想いを馳せ、先人たちが培った恩恵を享
受するだけではなく、次の時代に何を残せるのかを考えなければいけないと痛感
します。

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 【発行日】  2014年7月5日
 【発行元】  大阪企業家ミュージアム
         電話 06-4964-7601
         FAX 06-6264-6011
         e-mail museum@osaka.cci.or.jp  
         http://www.kigyoka.jp/
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投稿者 museum | 2014年07月05日 19:07