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2014年02月13日 09:25
企業家ミュージアム★メールマガジン★ 第26号!
>>2014年2月5日(水)発行<<
みなさん、こんにちは。
「企業家ミュージアム メールマガジン」第26号の本号は、毎日新聞月曜日夕刊
に掲載の企業家の名言や座右の銘をコンパクトにまとめた『大阪の道標』の第10
回です。
ミュージアムで紹介している企業家たちの珠玉の名言、座右の銘をお楽しみくだ
さい!
なお、毎日新聞『大阪の道標』は1月27日の太陽工業・能村龍太郎氏の名言掲載
で終了いたしました。長きにわたりご愛読いただき、ありがとうございました。
本メルマガではさかのぼって掲載いたしますので、引き続きご一読ください。
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★今月の名言!(第10回)★
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鶏口となるも牛後となる勿れ
上山英一郎 大日本除虫菊(キンチョウ)創業者
(1862~1943)
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「日本を豊かにする」「農家を豊かにする」。福澤諭吉の教えを受けた上山
(うえやま)英一郎は、除虫菊栽培を全国に奨励するとともに、世界で初めて
蚊取り線香を発明する。
1862(文久2)年、和歌山県の生まれ。慶応義塾の恩師である諭吉の紹
介で知遇を得たアメリカ人から、ノミ取り粉の原料として使われていた除虫
菊の種子を入手。荒地でも栽培できる除虫菊は、貧しい農家の救済に役立つ
とともに、外貨獲得のための輸出品となると考え、全国で除虫菊栽培を奨励。
半世紀後には、世界総生産量の約9割を日本が占めるまでとなった。
さらに、英一郎は除虫菊を使った製品づくりにも取り組み、1890(明治23)
年、除虫菊の粉末を線香に練り込み、世界初の棒状の蚊取り線香を開発した。
1902年には、妻、ゆきのアドバイスをもとに、長時間使える渦巻き型の蚊
取り線香を発売。蚊取り線香は東南アジア、オーストラリア、アフリカ、南米
など世界中に広まる製品となった。
1910年には、英一郎が信条としていた「史記」の一節「鶏口牛後」にち
なみ、鶏マーク「金鳥」を商標登録。大きな業界の後ろをいく会社ではなく、
小さな業界でもトップたれという創業者の気概が込められている。
<毎日新聞 2012年7月9日 夕刊>
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上山英一郎氏については、企業家ミュージアム<第2ブロック:大衆社会の
形成 ― 製薬・化学に新たな地平を拓く>で、消費社会の幕開けを支えた人
物の一人として展示しています。
▼大阪企業家ミュージアムで展示している企業家についてはこちら。
http://www.kigyoka.jp/exh/ent/index.html
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■編集後記■
お読みいただき、ありがとうございました。
「新しい技術や発明は、何気ない日常風景に潜んでいる」。
1時間で燃え尽きてしまう棒状の蚊取線香から、少しでも長く燃え人々を
虫から守ってくれる渦巻型への転換は、奥さんの「へびが蜷局を巻くよう
に」という何気ない一言にありました。その後、試作に試作を重ね、販売
が可能になるのに7年もの歳月が費やされています。
ありふれた言葉や光景から新しい発想が生まれ、それを実現するために先
人たちの多くの努力と工夫があります。
物質的に恵まれた今、「あって当たり前」と思っている身の回りの技術や
製品は、幾多の先人達の熱い思いやご苦労の上に成り立っていることに思
いを馳せ、モノを大切にし感謝する心をもちたいと思います。
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【発行日】 2014年2月5日
【発行元】 大阪企業家ミュージアム
電話 06-4964-7601
FAX 06-6264-6011
e-mail museum@osaka.cci.or.jp
http://www.kigyoka.jp/
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投稿者 museum | 2014年02月13日 09:25