2012年07月25日 18:34

企業家と日本文化

梅雨明けを“待ってました!”とばかりに、蝉の大合唱・・・。
暑いですねぇ。あお吉は、涼を求めて、
髙島屋史料館(http://www.takashimaya.co.jp/corp/info/library/index.html)の
「著名画家が描く扇子、大団扇の原画展」を見に行ってきました。
爽やかな色彩の作品がたくさんあり、暑さも心もすーっとするひと時でした。

近代日本画の大御所、横山大観の大団扇にも驚きましたが、あお吉の目に留まったのは、
柔らかいタッチで紫陽花を描いた、鏑木清方(かぶらき きよかた)の大団扇。
というのも、前日にあお吉が訪れた、
池田市にある逸翁美術館(http://www.itsuo-museum.com/exhibition/)でも鏑木清方の
日本画が公開されていて、小林一三と親交があったという説明を思い出したんです。
美術館で見たのは、素敵な美人画でした。

というわけで、あお吉の興味が湧いて、ちょっと調べてみました。
この清方さん、一三さんとほぼ同年代の方で、はじめは挿絵画家だったんですね。
それも、新聞小説に口絵を書いたりしていたようです。新聞は、清方さんのお父さんが
作っていた新聞なのですが、泉鏡花の小説にも挿絵を描いていたそうです。

一三さんも、学生時代には、新聞に連載小説を掲載していたので、この時期からひょっとして
交流があったのでしょうかね。因みに、清方さんも、本当はもの書きになりたかったのだそうです。
 
逸翁美術館にあった美人画は、明治34(1901)年の作品で、もし描いた年と合致するならば、
清方さん23歳頃の作品。一三さんは28歳くらい。紫陽花の大団扇は、昭和36(1961)年のもので、
清方さん83歳。一三さんは、もうこの世にはいらっしゃいませんでした。

この時代は、毎月、いくばくかの会費を払い、作品発表会に招かれて、絵画を購入する
という仕組みもたくさんあり、実業家が、芸術家を育てるのに一役も二役もかっていたのですね。

現在、逸翁美術館で開催されている「小林一三の愛した近代日本画」では、
日本画家、橋本雅邦が、第5回内国勧業博覧会に審査員作品として出品した日本画も
公開されています。とても見応えのある作品です。
美術・工芸品が外貨獲得のための有力な輸出品であったということにも納得がいきました。

大阪企業家ミュージアムで現在開催中の、「第五回内国勧業博覧会と企業家達」と
合わせてみていただくと、文化と企業家の関りが見えてくるかもしれませんよ。

投稿者 museum | 2012年07月25日 18:34