2012年08月31日 09:50

長崎の五代友厚

ようやく朝の風に秋が感じられるようになってきました。
皆さんは、夏休み、お盆休みはいかが過ごされましたか?

あお吉は、長崎に行ってきました。
長崎のお盆と言えば、精霊流し。あお吉も見学してきました。 
清めの爆竹の音が凄まじく、耳栓が無ければとても見ていられないものすごさでした。
風習の違いとは言え、こんなに違うものなのだなと驚きました。

今回の旅で気が付いたのは、大阪もそうですが、長崎は“まち歩き”が盛んだということ。
社団法人長崎国際観光コンベンション協会が発行している
“長崎さるく”のテーマ別マップがそこここに置かれていました。

そういえば、五代友厚が若かりし頃、遊学していたなぁと思い、ゆかりの地がないかなと
探してみると・・・、ありました!
長崎海軍伝習所跡、鹿児島(薩摩)藩蔵屋敷跡、小菅修船場跡、グラバー園。
結構たくさんありました。やはり、通算11年ほどこの地で過ごしていたからでしょうかね。

蔵屋敷跡の説明を見ると、五代は、小松帯刀らとここを拠点として、坂本龍馬率いる
亀山社中の援助をおこなったり、グラバーらとともに、通称、そろばんドッグと言われる
小菅修船場の建設に尽力した、とあります。
一般には、坂本龍馬等のスポットの当たり方に比べると、五代らの活躍の
取り上げられ方は地味ですが、その功労はかなりのものなんですよね。
舞台裏の支えがあればこそなし得たことも多いと思いました。

維新後、新政府の役人として大阪へ赴任。官を辞して、一民間人として
日本の近代化に力を尽くした五代の大阪での活躍は、長崎の地で培った知識や
人脈が基礎になっているのだということが、良く解りました。

因みに、長崎さるくコースマップ「幕末の長崎」編では、長崎を駆け抜けた薩摩の偉人
というタイトルで、長崎にゆかりの深い薩摩の人々が紹介されています。
ここでの五代の紹介文を見ると、大阪での活躍についてもちゃんと書かれていました。

今度は、鹿児島の五代に会いに行こうかなと考えているあお吉ですが、
しばらくは、当ミュージアムの凛々しい五代をご紹介することに努力しようと思います。
皆様も、是非、大阪企業家ミュージアムの五代友厚に会いに来てください。
ご来館を心よりお待ちしております。

投稿者 museum | 2012年08月31日 09:50