2013年12月10日 08:24

企業家ミュージアム★メールマガジン★ 第21号!

>>2013年12月6日(金)発行<<

みなさん、こんにちは。
「企業家ミュージアム メールマガジン」第21号の本号は、毎日新聞月曜日夕刊
に掲載している企業家の名言や座右の銘をコンパクトにまとめた『大阪の道標』
の第8回です。
ミュージアムで紹介している企業家たちの珠玉の名言、座右の銘をお楽しみくだ
さい!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
★今月の名言!(第8回)★

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本社経営ノ一基本ハ飽ク迄モ自立自営ニ存シ、現在ノ方針モ、将来ノ発展モ、
凡テ皆此処ニ立タナケレバナラヌ

    中橋徳五郎 大阪商船社長
         (1861~1934)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

社長在任16年、1914(大正3)年に大阪商船(現商船三井)を去るにあ
たり、中橋徳五郎が残した「三つの希望」のうちの一つ。残り二つは、「和親
協力同心一躰以テ業務ニ当ラレムコト」「業務ニ真面目ニシテ率直、毫モ上調
子ナラザルコト」だった。

中橋は1861(文久元)年金沢生まれ。98(明治31)年に、妻の父だった
田中市兵衛の積極政策と不況の影響で経営が極めて悪化した大阪商船の
社長に就任した。「海運立国」「事業は人、社運の興隆は社員から」。この
信念で中橋は、大学や旧高等商業学校の新卒者を積極的に採用するとともに、
同業他社や官公庁からの中途採用も行い、人材育成に努めた。

事業面は、内航海運から近海海運へ、そして遠洋航路進出を目指した。
1906(明治39)年、人材を集結させた調査課を発足、遠洋航路の可能
性の調査に乗り出す。そして09(明治42)年、最初の遠洋定期航路、香
港タコマ線(北米航路)を開設し、同社最大級の新造貨物船6隻を投入した。

「自立自営」。中橋は人材を育てた。そして自らが関わった他の多くの企業
に社員を送りだし、関西の産業発展に寄与する人材を輩出した。大阪商船が
「人材の苗床」と言われたゆえんである。

                 <毎日新聞 2012年6月18日 夕刊>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

中橋徳五郎氏については、企業家ミュージアム<第1ブロック:近代大阪の経
済基盤を築く>で、産業基盤づくりを支えた人物の一人として展示しています。

  ▼大阪企業家ミュージアムで展示している企業家についてはこちら。
  http://www.kigyoka.jp/exh/ent/index.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■編集後記■

お読みいただき、ありがとうございました。
中橋徳五郎は、大阪商船社長に加え、宇治川電気社長や日本窒素肥料会長など
も兼任した関西財界の重鎮。その後大正3年には立憲政友会に入り衆議院議員
としても活躍し、田中義一内閣の商工相、犬養内閣の内相を務めたそうです。
明治時代の実業家の中には、後に政治家となり国を支えた人たちが多くいらっ
しゃいます。
実業家として日本の産業を興し育て、政治家として国のあり方を考える…。
当時の財界人の視野の広さと深さに感動します。
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━※
 【発行日】  2013年12月6日
 【発行元】  大阪企業家ミュージアム
         電話 06-4964-7601
         FAX 06-6264-6011
         e-mail museum@osaka.cci.or.jp  
         http://www.kigyoka.jp/
※━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━※

投稿者 museum | 2013年12月10日 08:24