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2009年04月21日 09:45
「りょく吉、大阪検定合格を目指す」の巻
大阪検定が始まります。
興味津津のりょく吉君。早速、「大阪の教科書」を買ってきました。
中をパラパラとめくってみると、『こりゃ、おもしろい』。
どこを摘まんでみても知らない話が多い。
『へー、ほー』と面白がりながら、ふと、りょく吉君、気付きました。
『こんなに知らん事ばっかりやったら、落ちるやんか・・・』
・・・ためいき
さて、りょく吉君の棲息する「大阪企業家ミュージアム」、実は合格者への特典を提供しています。
2級合格者に限りますが、「年間パス」をプレゼントいたします。
是非、皆様、お受けください。
大阪企業家ミュージアムに棲息する猫3匹も「一緒に受けよーね」と語り合っています。
さて、大阪検定にも、もしかしたら出るかも(?)知れない4月ネタを少し
主な出典は「大阪365日事典」です。
<その1>
元禄16年(1703)4月に天神の森で男女の情死体があった。
これを浄瑠璃にし大ヒットしたのが、近松門左衛門の「曽根崎心中」。
上演は5月7日、語るは竹本義太夫。芝居では2世鴈治郎と扇雀父子のあたり芸だそうです。
有名なのは、この文章でしょうか。
「この世の名残り夜も名残り、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり」
<その2>
大阪(出入橋)-神戸間に電車が走ったのが明治38年4月12日。
阪神電気鉄道です。
朝の5時から夜10時まで営業。
煤煙がはいらないので窓が開けられる。
東海道線の南側を走るので海岸づたいが多く、眺めがよいと人気が集中したそうです。
ちなみに、京阪電車が開通したのは明治43年4月16日。
造幣局や桜の宮の花見時と重なり、どっと人が押し寄せたそうです。
大阪企業家ミュージアムでは、阪神電気鉄道の今西林三郎氏、京阪電気鉄道の太田光熈氏をパネル展示しています。
<その3>
公設市場の元祖も大阪。
大正7年4月15日、大阪市内の4ヵ所に「日用品供給場」が開設されました。
第一次世界大戦が終了した後の好況で物価が高騰するなか、物価調節施設として誕生をみたそうです。
<その4>
金融大恐慌は昭和2年。
4月に神戸の鈴木商店が倒産。近江銀行、泉陽銀行が休業。
そして4月21日には華族銀行として最も信用のあった十五銀行まで休業。
ちなみに白洲次郎の父、白洲文平氏の経営する綿の貿易商「白洲商店」は、この十五銀行がつぶれたことにより倒産。ケンブリッジ大学を卒業した白洲次郎もこのため帰国したそうです。
また、松下幸之助が主に取引をしていた銀行もこの十五銀行。
松下幸之助の生涯の中で住友銀行との取引開始の話の中ででてきます。
などなど、大阪検定を前にちょっと雑学でした。
りょく吉
投稿者 museum | 2009年04月21日 09:45