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2010年01月09日 10:13
あけましておめでとうございます!
りょく吉
「年末年始に新型インフルにやられたのが、尾をひいて声がガラガラだよー」
あか吉
「あんた何歳?あれは、若者のかかる病気よ」
りょく吉
「そんなこと言われても・・・。動物園のトラ君も慣れない気候で風邪をひいてなければいいけど・・・
そういえば、天王寺動物園が開園したのは、大正4年(1915)の1月1日だそうだよ。随分、前からあるんだねー」
あお吉
「大阪に動物園を、というのは、随分前から計画はあったようだよ」
あか吉
「随分って、どれくらいよ」
あお吉
「・・・年始から怖いなー・・・・
僕の知っている範囲で一番古いのは、慶応元年。五代友厚が、明治維新前に薩摩藩の若い有望な人達と一緒にヨーロッパに留学をした際に、ベルギーのモンブラン伯爵と交わした外国条約の中に書かれているよ」
りょく吉
「へーー、本当だ。あお吉はよく知っているね。」
あか吉
「五代友厚の銅像は、大阪商工会議所の入口にあるわよ」
りょく吉
「・・・あか吉もよく知っているね」
あか吉
「えへん!」
りょく吉
「しかし、なんで、動物園なんだろう。五代って人も薩摩の人なのに、なんで大阪なんだろう」
あお吉
「さっきの外国条約を読むと、『動物園は、日本のみんなが、珍しがって、財を厭わずに見物するだろう。大阪は、日本の中央にあるから見物の人はきわめて多いはず』と書かれているよ。
ちなみに五代友厚は、・・・」
▲五代友厚
あか吉
「明治維新期の大阪の経済再生のリーダー!」
あお吉
「・・・・その通りです。
では、あか吉さん、りょく吉さんに質問です。五代友厚は、いったい何社の会社設立にかかわったでしょうか?」
りょく吉
「100社!」
あか吉
「あほ!そんなにたくさんの会社にかかわれるわけ無いでしょ。五代さんは、50歳くらいでなくなってるのよ。
20社!これで正解よ!」
あお吉
「ぶーー。お亡くなりになったのは49歳だけど、設立にかかわった会社は約500っていわれているよ」
りょく吉
「へーーー。すごいね」
あお吉
「織田作之助の『大阪の指導者』には、こんな風にかかれているよ。
『明治の大阪の指導者として、開発者として友厚の右に出る人は一人もいない筈だ。比較し得る人もない。』
また、こんな名言も書かれているよ。
『友厚は平素人に語って「凡そ成功の岐るる所は僅かに一歩の差である。一歩先んじて進む者は成功し、遅るる者は不遇を嘆つ。故に人は常に機を見るに敏なることを要する」と言うている』
あか吉
「すごい人なんだね」
りょく吉
「五代友厚って勝海舟や坂本竜馬とも知り合い?」
あお吉
「五代友厚は若い頃に長崎の海軍伝習所にいて、そこで勝海舟や坂本竜馬、高杉晋作、グラバーなどと交流があったそうだよ。坂本竜馬が、天保6年11月で五代が12月の生まれだから同い年だね。」
あお吉
「りょく吉も興味があるなら、今、大阪企業家ミュージアムで、小さな小さな企画展として五代友厚をやっているから、みてきたら。
ケーブルテレビで以前に放映された「なりきり歴史探訪 五代友厚 編(14分)もみれるし、五代友厚が明治維新期に活躍したいろんな人とやりとりした書簡もパソコンで見ることができるよ。
ちなみに、なりきり歴史探訪には初代りょく吉がでているよ」
あか吉
「いつまでやっているの?」
あお吉
「1月22日(金)までだって」
りょく吉
「あお吉、ありがとう。見てくるよ」
りょく吉
投稿者 museum | 2010年01月09日 10:13