<学校法人大阪貿易学院(開明中学校・高等学校)創立100周年記念祝賀会>
(平成26年11月17日)
概要
□日 時:2014年(平成26年)11月17日(月) 18時30分~21時
□場 所:ロイヤルホテル3階 光琳の間
□参加者:大阪商工会議所会頭 佐藤茂雄氏、副会頭 西村貞一氏(学校側関係者として出席)、前会頭 野村明雄氏、前副会頭 町田勝彦氏、専務理事 宮城勉氏、常務理事・事務局長 児玉達樹氏ほか大商議員関係者多数
□佐藤会頭による創立者代表挨拶:概要は以下の通り。
田中理事長のご挨拶にあった通り、大正3年に土居通夫氏が初代理事長となって創設された大阪貿易学院が100周年を迎えられたことをまずはお祝い申し上げる。その初代理事長の土居通夫氏の履歴を少しご披露したい。先般の日経のシンポジウムでもご紹介させて頂いたが、土居氏は大阪の恩人で初代会頭である五代友厚公と深く繋がっている方で、五代に引き立てられる前は鴻池屋の手代であった。その後はまさに数奇の運命で、宇和島藩の脱藩浪士で居合抜きの達人の腕を買われて、坂本竜馬暗殺の下手人を襲撃する暗殺団の先鋒隊となっている。その後大阪商工会議所会頭となり、京阪電鉄の3代目社長にもなられた経歴をお持ちの方である。(注:土居氏は明治28年から大阪商業会議所第7代会頭となり大阪経済の発展を支えてきた。明治18年から勃興期にあたった近代産業の育成に積極的に取り組み、大阪株式や米穀取引所をはじめ、電力、紡績、電鉄および保険業等々の創立や経営に参画。特に第5回内国勧業博覧会の誘致問題で功績が大きい。)
それはさておき、当時、大大阪の時代を支えるべく国際的に通用する人材を輩出しようと大阪貿易学院が創設されたわけであるが、私自身が京阪電鉄で人事課長を務めていた30年前にも多くの有為な人材を採用させて頂き、皮肉にもドメステックな我が社を支えて頂いてきている。その後本学は貿易学院から開明へと校名の変更など行ってこられたが、開明という語源のように建学時の精神と変わらず世の中の変化に対応、判断できるグローバル人材を育成されていることに敬意を表したい。大阪商工会議所では企業家ミュージアムで先人の言葉を紹介しているが、本日は第3代理事長でもある稲畑勝太郎氏の言葉を披露し挨拶を締めくくりたい。これはまさに大大阪時代である昭和2年にベトナムのフエで語ったものだ。
「覚めよわが有為の青年よ。そしてもっと眼をもっと大きく見開くがよい。常夏の海の涯にも白雲の生じる山の陰にも卿等の新しい世界が待っているではないか。」
稲畑氏は、知識や聡明さに加えて海外に雄飛する冒険心やチャレンジ精神の重要性を皆に語りかけたものであり、後進国の勃興により厳しい国際競争にある現在にこそ通じる素晴らしい言葉だ。次の100年に向けて、この精神を忘れずに次世代の人材育成に取り組んで欲しい。田中理事長、澤田専務にはどうぞ宜しくお願いしたい。