佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2012年(平成24年)10月1日(月) 大阪経済大学80周年記念講演

「大阪を元気にするために」

  • その3(大阪・関西の発展を支えてきた西日本からの労働力)

 それは後ほど時間があればお話しするとして、私は少年期から九州で育ち、高校生まで九州におりました。ご覧の通り誤魔化しようのない年齢となり、関西に住む年数が圧倒的に長くなっています。

 昨年、鹿児島県人会の集いが京セラドームであり、お招きいただきましたので行ってみますと、ビックリするほどの人でした。聞いてみますと、関西県人会にはいつも、3万人以上の人が一堂に会するのだそうです。昭和30年代、金の卵ともてはやされて集団就職で関西にやってきた中学生はやがて成人となり結婚し、孫、曾孫にも恵まれ、大きな数となったという訳であります。

 私は大分ですが、大阪を中心とした関西の産業の発展は主に西日本からの労働力が支えてきたと言えるのではないでしょうか。そして関西に永住し、関西人を形成してきました。少子高齢化の中で地方格差が問題になっておりますが、実は高度経済成長の時代に地方から都会への人の移動が進みました。それが今日言われている地方格差を引き起こしている要因の一つかもしれません。

 「故郷(ふるさと)」という唱歌をご存知だと思います。大正3年に出来た尋常小学校の唱歌です。兎追いしかの山小鮒釣りしかの川で始まりますね。幼い頃の思い出と、如何におわす父母、と両親を思い、友だち、故郷を懐かしむ唱歌ですが、最後の詩は、志を果たしていつの日にか帰らん、であります。昔から、志を果たす場所は都会であって、故郷は忘れ難きものではあっても現実に帰る所ではなく、飽くまで願望として帰る所という訳であります。地方が、近代国家の創設から経済大国に至るまでの日本を作り上げたと言えると思います。