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II.日系企業の経験

 ここでは、本研究会において報告のあった研究会メンバー各社の経験談を要約した。
1.ラングポンプ株式会社
2.光洋精工株式会社


1.ラングポンプ株式会社

(1)同社概要
小型の球体モーターポンプ、暖房用機器等を扱うメーカーであり、世界に次の4拠点を有している。
【1】 ドイツ(シュテュットガルト):本社であり、かつハンガリーで製造した製品の販売を行っている。また、製品検査部門もある。
【2】 ハンガリー(ツェグレート):製造拠点であり、中東欧諸国を中心に販売も行う。
【3】 アメリカ(サンディエゴ):販売・製造拠点である。
【4】 日本(大阪府泉佐野市):主に販売を行っている。

(2)ハンガリー工場概要
【1】 場所:
ブタペストから南東80キロ程度にある小さな町、ツェグレートに立地する。この町は、ブタペストからウクライナ、ルーマニア方面への幹線国道沿いにあるので運送面では比較的便利な所である。
【2】 ハンガリーに工場を持った経緯:
約22年前にドイツのラング社で働いていたハンガリー人の紹介でハンガリーの会社(イビック社)と合弁を開始したことが始まり。その後、ベルリン工場をハンガリーへ移転した。当時のハンガリー政府がロシアから離れることを考えていたため、西側の企業に対するインセンティブも大きかったこと、ドイツに対してハンガリーの賃金は8分の1と安価であったこと、ツェグレートは土地も安かったこと(工場拡張の際、100メートル×200bの土地を約1万ドルで購入)などが移転理由である。
【3】 従業員:
従業員数は430名、工場長はドイツ人で、平日はハンガリーへの出張ベースで赴任している。工場長以外はハンガリー人である。なお、ハンガリーでは、賃金水準に大きな地域差がある。
【4】 従業員の定着率:
終身雇用は採用していないが、長期勤務の社員が多い。また、社員の定着率はマネージャーよりも一般社員のほうが高い。なお、ツェグレートでは外資系企業同士の人材引き抜きは少ない(マネージャーは他地域の外資系企業からの引き抜きがある)。試用期間は2〜3ヶ月であり、以降、正当な理由がなければ解雇は不可能である。
【5】 社員教育・研修:
工場では日本生産性本部の支援によるハンガリー生産性本部の協力を得て、OJTに熱心に取り組んでいる。なお、日本の技術を海外に紹介するための支援であるので、日系企業には適用されない。また、ハンガリーからラインワーカーを日本へ呼び、数ヶ月間の研修を行った実績がある。
【6】 品質管理:
旧体制では品質管理は意識されておらず、品質を向上させるにはラインワーカーの意識を変える必要があり、従業員の教育が重要であった。
【7】 労働組合:
同社は今までストライキの経験はない。同国では、産業別組合より企業内組合が多く、このこともあって組合活動の激化はみられない。
【8】 投資インセンティブ:
同社は20年以上業務を行っているので、現在、それほどのインセンティブを享受している訳ではない。
【9】 その他:
ハンガリーは古い文化を持ち、ハンガリー人はその歴史・文化に誇りを持っている。中東欧諸国の中では恵まれた国であるが、それでも欧州先進国と比べれば貧しい。一方、ハンガリー人はまじめで正直であり、表彰されると喜ぶような国民性を有する。



2.光洋精工株式会社

(1)同社概要
 取扱製品はベアリング、ステアリングシステム他である。ベアリングは、ミリ単位の小さなものから、トンネルなどで使用する直径5メートル近いものまで製造しており、販売先は自動車関連向けが50%以上を占める。業界では日本で売上第2位、世界では5〜6位である。

 1921年に設立され、1950〜60年代に輸出を拡大し、海外販売拠点づくりに着手。70年代にはプラント輸出が増加。80〜90年代には積極的に生産拠点の海外進出が図られた。なお、ルーマニアでの事業は98年からである。

(2)ルーマニアでの事業
【1】 歴史
 1949年旧社会主義政権の下、同国ではベアリング製造をルーマニアの主力産業に育成するため、旧ソ連から技術導入が図られた。その後、西側先進国の技術を導入しようとして、日本を含め欧米企業からのプラント輸入を促進した。その結果、71年、光洋精工はプラント輸出の権利を勝ち取り、74年、アレクサンドリア市(ブカレストから南へ車で2時間程度)に工場を建設した。また、95年からはベアリング生産の民営化が始まり、同社は98年にはアレクサンドリア工場を買収した。現在の同社の保有株比率は96.3%である。
【2】 アレクサンドリア工場
 90年代に入り、英ポンドが高騰したため、光洋精工は欧州内で代替生産拠点を模索、上に述べたようにプラント輸出実績と政府との関係も深いルーマニア工場の買収が効率的と判断した。39万平方メートルの広大な土地に立地する同工場では、原材料のみを外部から購入し、ベアリングの構成部品のほとんどを内製している(内製が可能になるのは優秀な技術者が多いためである)。従業員数は、当初4,000人強(市人口は3〜4万人)であったが、その後、工場の合理化が進み、現在は2,668名である(2003年末)。今後、さらに合理化を予定している。

 労働者の資質であるが、質はよいがマニュアル通りにしか働かないという問題もある。例えば、部品に不具合があっても、マニュアルに書いていなければ、そのままにして何も対応しないといった点である。なお、日本人駐在員数は8名で、社長、副社長、財務関係役員、さらに営業・生産・品質・製造技術の各部門に駐在員を配置している。役員以外は、ラインの長(=部門長)ではなくスタッフ、コーディネーター的役割を果たしている。
  
 給与は、買収後の労使紛争時にユーロにリンクした体系に変更した(販売先の比率をみると、52%は欧州、ルーマニア国内は11%)。すなわち、四半期ごとに見直し、ユーロが上昇すると給与もそれにあわせて上げるというものである。国外からのルーマニアへの進出企業で、特に輸出がメインの企業が採用している方法である。ユーロ高進行につれ自動的に昇給となるが、インフレ上昇分カバーのためのベースUPは避けることができた。今後の給与体系のあり方を見直し中である。
 
 英国とルーマニアでは人件費(賃金)格差は大きいが、生産性も大差があり、両国での1個あたりの労働コストそのものには大きな差がなかった。但し、設備費・材料費などの他のコストを考慮するとルーマニアの方が総コストとしては低い。現在はルーマニアの生産性向上を通じた価格競争力強化を目指している。
【3】 ルーマニアのビジネス環境
 ルーマニアは、ハンガリー・ポーランド・チェコと比べて、未だ開発途上の部分が多く、人件費は安価で、天然資源があり資源加工の技術を有している。ただ、欧州の東の端で物流コストがかかる。また、昨年は比較的ましであったが、現地通貨レイが弱く、不安定であり、インフレ上昇率が高いという点も問題である。
1998年 1ドル=7,000〜8,000レイ
2002年 1ドル=33,000レイ
2003年 比較的安定しており、1ドル=32,000〜33,000レイ

 なお、ルーマニア会計では債務とみなさないが、西欧会計では債務となるものがあった。このため、工場買収時にはなかったが、買収後に債務が発覚するといった問題が発生した。また、少数株主保護法のもと、少数株主が経営に深く関与しすぎるという点も問題となった。例えば、設備投資のための増資について取締役会議を開くと少数株主が反対、意見が通らないと安易に株主が訴訟を起こすこともある。
 
 労働組合は体制転換後に組織化された。非常に強力な組合であり、妥協をよしとせず強硬な態度をとり、駐在員は家を出てはいけないという命令が出されるほどの労使大紛争も経験している。近隣のハンガリーやチェコでは、外資系企業の参入の意義を組合としても理解しており、もっと協力的であると聞いている。

 また、法律が頻繁に変更されることも問題の一つである。ルーマニアの弁護士や会計士でも改正法の解釈に苦慮し、それが判明した頃には改正されてしまう、ということも多々ある。他の外資系企業等とも連携して政府に対してロビー活動をすることも時には必要になる。もっとも、政府の対応は弾力的であり、外資系企業の意見に耳を傾けてもらっている。

【4】 非上場化
 同国では上場会社に様々な規制、義務が課せられている。例えば、事業内容の報告だけではなく、各商談内容に関する報告も義務付けられている。従い同社は非上場化を検討していたが、会社法改正が公布され、同社のような株保有比率90%以上の親会社に非上場化が義務付けられてしまった。しかもその手続きは不透明かつ会社にとって不利な条件であったため、業界で足並みをそろえて反対活動を展開した。結局、同社は改正法施行前に自主的に非上場化したが、改正法は、ロビー活動の結果、その後2回改正され内容が改善された。同国の制度には種々問題があるが、訴えていけば次第に改善されるという印象である。
【5】 ルーマニアのEU加盟
<評価すべきポイント>
ビジネス環境の改善が期待できる。EU加盟に向け、法整備が進み、頻繁な改変といった問題は改善されつつある
政府は米、スウェーデン、独などの欧米進出外資企業のみならず日本企業の意見も真摯に聞き、投資環境改善に前向きである
<危惧されるポイント>
全体的にコストアップ圧力が強まる(人件費など)
国から受けている便宜が、EU加盟によって法的に禁止、または制限される可能性がある




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2004.3.29更新

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