㈱柴田書店『月刊ホテル旅館』寄稿コラム 2013年9月号より
  •  第7回 「人口減少社会」を逆手に
  •  福沢諭吉が「学問のすゝめ」を世に問うたのは明治初年でした。当時の日本の人口は、わずか3500万人でした。実に小国です。鎖国制の江戸幕藩体制は崩壊、明治新政府の下小国は世界の真っ只中に飛び込んでいきます。近代化を達成して日本は欧米社会に伍していこうとするわけですが、そのためには国民はまず、一身の独立を果たし、一国の独立を図らなければならない、と福沢は「学問のすゝめ」で説きます。開かれた国際社会の中の小国が大国に立ち向かうための精神革命を求めたと言えましょう。独立とは、他によりすがる心のないことを言う、と福沢は言っております。「学問のすゝめ」にある福沢全集緒言がまた、面白い。慶応義塾五九楼仙万が記す、とありますが、福沢その人の記述です。 「今、明治の日本人がもっとも憂うべきことは外国の交際である。商売でいうと、外国人は豊かで商売が上手であるが、日本は貧しくて商売が下手だ。裁判でいうと、日本人は罪を着せられるが、外国人は法の網をくぐる者が多い。外国は自由貿易を主張して仕掛けてくるが、日本は受け身となり、対等にはいかない。旧習を改めなければ、日本は国権が衰微しないとも限らない」と危機感露わです。
  •  「学問のすゝめ」は空前の大ベストセラーとなり、国民170人のうち1人は読んだ計算になるそうですから、意識改革に大きな効果があったことでしょう。私も「学問のすゝめ」を座右に置き、時々目を通していますが、教えられ、愁眉を開くことが多々あります。たとえば、TPP是非論で沸騰する最近の日本ですが、どう見ても仕掛けられているのは日本です。受身だけでは、負け犬になること必定、旧習をどう改めることができるか、ということと、外国の交際、つまり外交の力が重要だ、という福沢の言葉を私たちは噛みしめたいものであります。
  •  観光についても学びたいものです。観光庁のホームページから統計資料を引っ張り出しますと、2010年の訪日外国人観光客は世界ランキング30位、アジアでは8位です。豊富な観光資源に恵まれ、治安の良い国としては大変低いランクです。一方で海外に出かける日本人は、09年の数字ですが、世界ランキング10位、アジア2位となっております。せっせと海外に出かけ、旅の魅力を知っているのに、自国の魅力を売り込まない金持大国の日本人。福沢諭吉にならえば日本は受身。対等になっていません。現在の日本の人口1億2700万人。明治の3・6倍です。小国から大国になり、私たちは受身病にとりつかれているのでしょうか。加えて、悲観病にもとりつかれているのかもしれません。日本は人口減少社会に入り、この先お先真っ暗、とオピニオンリーダーである評論家は言います。消費は縮小し、また生産に携わる人口が減るのでモノづくり日本は衰退する、と悲観論を展開しています。諭吉なら、明治は3500万人の人口で近代国家をつくり上げた。今、日本には1億数千万の人口がいるではないか、と言うのではないでしょうか。
  •  その日本がやっと動き出したように思えます。08年に観光庁が誕生、観光立国をめざすことになりました。12年3月には観光立国推進基本計画が決まり、16年までに訪日外国人旅行者を1800万人にするというのです。本年6月、観光立国実現に向けたアクション・プログラムが示されました。ビジット・ジャパン事業が開始されて10年目の今年は訪日外国人旅行者数1000万人を達成し、さらに2000万人の高みをめざすとあるのは心強い限りです。すでに観光立国推進閣僚会議も立ち上げ、内閣は近隣諸国以上に魅力あふれる観光立国の実現に向け強力に施策を推進するということですから、福沢諭吉が戒めるところの受身改め観光小国から観光大国への攻勢に転じるというわけです。観光大国実現に当たって、心強い味方もいます。皮肉にも、人口減少社会到来という悲観論です。この国の人口減少を憂うなら、それをバネにしてインバウンドの増加に必死になればよろしいではありませんか。
  •  人口減少社会の強みは、もうひとつあります。福沢諭吉なら「明治と比べ平成が羨ましいのは、日本が長寿国になっていること。それに女性の社会進出が比べものにならない」。そして、経験豊富な高齢者と感性豊かな女性の存在を羨ましく思って「平成の日本に欠けているのは一身独立、一国独立の精神だ。もう一度、明治の日本に学んでおくれ」と喝を入れることでしょう。観光産業は知恵と感性が生命です。経験豊かな高齢者、感性豊かな女性が観光立国の主役となるものと思います。都心の昼は元気な中高年の女性でレストランは満席、行楽地は元気なお年寄りの姿が闊歩、と若々しい高齢者が観光客の主役のお役目を果たしていることは一目瞭然ですが、今度はその豊かな経験と感性を生かして、観光産業を担う主客の立場を変え、お客さまを迎える主になっていただきたいものです。お客さまとして遇されてきたのですから、おもてなしの要領は心得ているはず。あとは観光産業振興という旅をどう歩いて行くか、です。そこでまず、旅には餞がつきものである、と申したい。旅の路銀を政府に求めているのではありません。関西圏の、関西空港の年間入国者数はしかじかです、とノルマを示してもらいたいのです。ノリノリの関西人のことですから、きっと「ヨッシャ。やったる」とか「何やそんなもんかいな。手ぬるいやおまへんか」と、ハッスルすることでしょう。餞は馬の鼻向け。進む方向に鼻を向け、他に寄りすがる心とおさらばして一身一路、邁進したいものです。

((株)柴田書店出版の『月刊ホテル旅館』に2013年9月号より掲載開始。)