佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2015年7月6日(月) 大阪大学豊中キャンパス

「ひらパーから関西を考える」

 何かとこの頃、ひらパー、ひらパーと人気のようですが、ひらかたパークを縮めてひらパーと呼ぶようになったのは20年近く前、広告会社の提案だったか、あるいは吉本興業の芸人が言い出してからです。マクドナルドをマクドと言うが如く語句を縮めることで、親しみやすさというものが出てきます。

 「ひらかたパークに行こうよ」と言うと、何か改まったと言うか、硬い感じですが「ひらパーに行こうよ」と言うと、仲間内の気安さが出てくると同時に、遊園地のほうにも親しみやすい遊園地という雰囲気が出てくる。語感とは不思議なものですね。ひらパーと呼んだのは、さすがノリの良さを大事にする関西ならでは、という気がいたします。昨今はブラックマヨネーズ、岡田准一でとみに有名になっておりますが、人気の下地は「ひらパー」と呼ぶようになったことにあると思います。

 ひらかたパークと呼ばれる前は、枚方公園でした。それを裏付けるかのように、ひらパーのある駅は現在も枚方公園駅です。更に不思議なのは、私が人事課長の時、会社の職制では「ひらかたこうえん」の「えん」は「苑」だったのです。どう判断して名称を使い分けるようになったのか、調べてみるだけでも面白そうですね。

IMAG2503.jpg「当日の講演が行われた会場。」 枚方公園の前は「枚方遊園」です。名称の変遷には理由がありそうではありませんか。実際、あるのです。もっとも、ひらかたパークは枚方公園を英訳して生まれたものであるのは想像できますね。漢字の枚方は読み方が難しくて「マイカタ」と読まれるので、平仮名で「ひらかた」としたのでしょう。でも、片仮名で「ヒラカタパーク」とする案もあったのではないでしょうか。現に、過去のポスターを見ますと「ヒラカタキクニンギョウ」という表示のポスターがあります。もし、遊園地全体をヒラカタパークとしていたとしたら、その後のひらパーはどういう展開になっていたでしょうか。

 名は体を表す、と言います。「ひらパーの名の変遷から見る関西」。誰か、研究テーマとしてチャレンジしていただきたいですね。本日のテーマもそうすれば良かった。私自身がそう思っております。