2013年(平成25年)8月29日(木)
「うめきたMICE特別セミナー 関西活性化の起爆剤 千客万来都市OSAKAプラン」
いま、私たちが目にする大阪城は、昭和6年、大大阪の不況の時代に市民の浄財で建造されたものであります。大阪を訪れる観光客の多くはまず大阪城を訪れます。そこで調べてもらうと、海外観光客による大阪城での観光滞在時間は、わずか30分だけという方がもっとも多いという調査結果が出ておりまして、大阪城を背景に記念写真を取り、次の目的地に向かうというのが今の大阪城の観光資源としての現状であります。
これで果たして80年余り前、不況下にもかかわらず太閤さんの雄大さに尊崇の念を抱いて浄財を出した当時の市民の気概とか、太閤さんがなぜ浪速の庶民に人気があったのかと言ったようなことを理解してもらって本国にお帰り頂いていると言えるのでしょうか。
大坂夏の陣400年祭を2年後に控えています。二の丸、三の丸が無くなっているとはいえ、今も広大な大阪城内です。そそくさと見て、お城を後にするとは残念なことです。2時間ばかり城内にいても退屈しない、飽きない工夫をしたいものであります。文化財保護法に忠実な保護も一つのあり方でしょうが、文化財も歴史文化を教える教材です。親しみやすい大阪城の活用策を練るように頭を切り替えたいものであります。
関連して申し上げたいのです。いま豊臣時代の石垣の発掘を目指して寄付を集める運動が始まっておりますが、我々も浄財を出して何とか成功させたいものであります。私も貧者の一灯で、わずかばかりの寄付をさせて頂いたわけですが、とにかく82年前の物言わぬ資産に寄りすがったままでいるのは、大大阪の時代の人たち大変に申し訳ないと私は思いたいのであります。大大阪の時代の気概を思い出し皆様にも是非ご協力をお願いしたいものであります。
「大阪城の「シンボル性」「物語性」「歴史性」」
「大阪城周辺エリア」