佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2012年(平成24年)10月1日(月) 大阪経済大学80周年記念講演

「大阪を元気にするために」

 大大阪は大正末から昭和初めの頃までの大阪のことですが、歴史は山あり谷ありの繰り返しです。やがて未曾有の不況が到来します。昭和4年4月ニューヨーク株式が大暴落し世界恐慌が起こります。その前、日本では昭和2年に支払い猶予令が出され、金融恐慌が発生しました。

 またまた、京阪のことで恐縮ですが、社史を開いてみますと、この恐慌の時に会社が歩んだ苦難の道が出てまいります。

 昭和3年から8年にかけ、会社は社有地に学校や企業、寺を誘致しております。デフレで地価は下落、それなら無償で土地を提供してでも電車の利用客を増加させた方が得策だと言う理屈です。電力コスト削減のために電車制動技術向上の研修やピーク時電力量カットのための蓄電池開発など涙ぐましい努力を行っておりまして、原発事故後の節電努力と全く同じ対応であります。電車利用客減少、土地価額下落などから採算性が悪化して、会社は2回の減配のあと7年に無配に転落です。

 しかし、大変勇気づけられるエピソードも見られます。不況最中の昭和3年、名古屋までの延伸というか、新線の出願を行っているのであります。流石に困難な時ですから出資がなく、頓挫しておりますが、苦難の中においても将来を見つめる当時の人のスケールと肝の大きさに感動するばかりです。