佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2012年(平成24年)10月1日(月) 大阪経済大学80周年記念講演

「大阪を元気にするために」

 江戸時代がそうでした。3都と言えば、江戸、大阪、京都でした。3都は個性が違うから3都であって、全て同じ性格の都市であれば、わざわざ3都という言い方はしないでしょう。江戸は政治の都市、京都は工芸の都市、そして大阪は商業の都市でした。江戸時代にならって個性の違いを明確にして大阪の繁栄を取り戻したいものです。気を付けたいことは決して、東京のモノマネをしないことです。

 とは言え、何をもって大阪を活力ある都市にして繁栄させるのか。大変、難しいことです。これまで、いろいろ努力しているのに、いっこうに元気になっていません。繁盛させることなんかできやしない、と言う人の方が多いことでしょう。私もそう思います。こんな時は歴史に学ぶことです。そこでまず、大阪の繁栄と衰退について歴史を紐解いてみましょう。

 3都の一つだった大阪は、元禄時代人口が42万人と言われ、世界有数の都市であったようです。それが天明の頃から減ってきて明治維新の頃には28万人にまで減少したようです。幕府が大阪の振興策を行わなくなったこと、大阪の商人に御用金を課したこと、この他銀本位制から金本位制に変わったことなどから衰退してしまったようであります。3都比較で申しましたように、江戸は政治の都市、京都は工芸の都市です。大阪は商人の商業の都市でしたから、商人の財力に目を付けられ、御用金が課せられては衰退するのは当然です。

 ところが、明治22年の大阪の人口は47万人と江戸時代の繁栄の頃の42万人を超えました。明治維新から20年で大阪は復活したのであります。20年も経つのにデフレから脱却できない今の日本とエライ違いです。