『大大阪』が戦略のヒント
現在、国会は空転しており、また予算執行も抑制気味となっています。交付金やその他の面で予算執行がなされなければ、この先も「停滞する日本」は続くでしょう。今回の演題である「大阪・関西の成長戦略」の実現は相当厳しいものがありますが、我々が駄目だと思えば本当に日本は駄目になってしまう。ここは気合いを入れましょう。
平成22年の大阪府と全国の製造業の製品出荷額を見てみますと、大阪府は15兆7千億円程ありますが、全国に占める割合はたったの5.4%です。大阪は大正後期から昭和初期にかけて『大大阪』と呼ばれていました。その頃の大阪の製品出荷額は18%あり、だいたい2割程度が大阪の役割(シェア)でありました。今は実に情けない数字ですが、もちろんこのまま放っておくわけにはいきません。
成長戦略策定のヒントとして、貿易の輸出入額をそれぞれみますと、平成23年度はその額に大きな差はありません。大正14年頃の『大大阪』の頃はどうかというと、大阪の輸入量をみますと、日本で一番のシェアを誇っており、逆に輸出量は少なく輸入超過の状況でした。ところがこれを金額ベースでみますと、輸出額は日本一となります。つまり、輸入した原材料を加工して付加価値をつけた製品を輸出していたということです。私達も、そういった努力をして『大大阪』時代を取り戻していくべきだと考えます。
では再び『大大阪』への道はあるかというと、可能性はあります。関西国際空港を見てみますと、航空貨物で輸入額より輸出額の方が多くなっており、つまり、付加価値の高い製品を輸出するという『新たな大大阪』の時代にふさわしい構造となっております。関空の航空貨物の輸出額から、「大阪はまだまだ強みがある」「ここを伸ばしていこう」と手掛りをつかみたいものです。「大大阪」も先人が営々と努力して作り上げたものです。大阪は、幕末から明治の始め頃にかけて衰退しましたが、明治中頃、ご当地がそうであったように綿紡績という新しい事業を起こして繁栄を取り戻してきました。
さて、今後、日本で一番の危機的状況を迎えるのが少子高齢化(人口減少社会)の到来です。人口推移を見てみますと、2004年がピークで、それ以降、生産・人口ともに右肩下がりとなっています。人口減少社会の中で、大阪・関西の活性化に繋がる一番取り組みやすいのが観光関連産業であります。新たな魅力の発信や観光メニューを作成して海外から観光客を呼び寄せ活性化に繋げることが大切だと考えています。
先人経営者から学ぶもの
大阪商工会議所では、アジアを中心とした新興国の需要・成長を取り込もうと、『千客万来都市OSAKAプラン』をまとめ産業振興や魅力的なまちづくりを目指しています。企業でもそうですが、立派なビジョンを掲げていても実行しなければ意味がありません。結果を出すためにはどうすればいいのか。それには苦難を克服した先人経営者の心意気や大阪・関西を切り拓いた名経営者達の経営哲学・信条を知ることが肝要です。
「松下幸之助翁の言葉などを紹介し、企業家ミュージアムの訪問を呼びかけた。」 皆さんは、ドラッカーの「コップの中の水」というのをご存知でしょうか。コップの中に水が半分入っている時、普通の人は「水が半分入っている」と思うだけで終わりです。しかしそれではイノベーションは生まれません。半分空っぽだと思い、「水をいっぱいにしよう」と考えた時に大きなイノベーションが生まれるというものです。日本にもドラッカーのような考えをした優れた経営者はたくさんいます。松下幸之助翁は、2階に上がるための梯子を例に、ドラッガーと同じようなことを言っています。大阪商工会議所が開設した「大阪企業家ミュージアム」では本当に考えさせられ勇気づけられる企業家たちの珠玉の言葉が詰まっています。是非一度、尋ねて頂き、困難な時代を乗り切る勇気をもらっていただければと思います。
(8月31日開催 文責事務局)
(※なお本講演録は、東大阪商工会議所のご了解の下、会報誌(2012年10月号)への掲載内容を転載させて頂きました。)