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2009年6月23日
第7回 (株)火星(その1)
中国ビジネス元気印!第7回は、(株)火星にお邪魔しました。
代表取締役の王果生さんは中国陝西省西安出身。1986年に来日し、日本の大学を卒業後、就職した大阪の繊維会社で中国ビジネスに従事。その後、日中間のビジネスの架け橋となるべく、大阪で(株)火星を設立されました。日本滞在はすでに23年に及びます。
のっぽパンダ:
大阪で起業されたきっかけはどんなことでしたか?
王社長:
私は1986年に日本へ留学し、大学卒業後、大阪の繊維会社に就職しました。入社2年目に中国に紡績工場を設立するプロジェクトがもちあがり、事前調査や現地での手続きなどに携わり、その後、総経理助理として駐在もしました。
そのなかで日本人の口からよく聞いたのが、「中国で騙された」という話です。中国人としてはとても残念なことでした。よくよく聞いてみると、日本人と中国人の考え方の違いや、言葉の壁が原因で意志の疎通がうまくいかないために問題が生じているように思いました。
日本人は日本語ができるというだけで、人を信頼しすぎるように思います。中国人は日本人に比べると大きなことを言うタイプの人が多いです。知り合ったばかりの人をあまり軽々しく信用してはいけません。日々の付き合いを深めていくなかで、その人がどんな人か、よく見極めなければいけません。
中国ビジネスで生じる問題を改善したい、日中の架け橋になりたいという思いが募り、勤め先を円満退社し、1997年に(株)火星を設立しました。会社名は自分の名前(果生)と、宇宙に飛び出せるくらい発展したいという思いを込めて「火星」と名づけました。
当初の事業の中心は翻訳・通訳でした。中国の大手アパレルメーカーであるヤンガーの総裁の連載が業界新聞に掲載された時に翻訳したのも当社です。その後、中国進出のコンサルティング、代金回収のサポートなどをしましたが、その間には、不渡りをつかまされたこともあり、本当に「山あり谷あり」でした。
現在は、事業の中心はITにシフトしています。即戦力になる中国人IT技術者を日本企業へ派遣したり、最近ではゲーム開発やアニメ製作などにも携わっています。私は内陸の陝西省出身ですが、IT分野はネット環境さえ整っていれば輸送コストに制約を受けませんし、何より人件費が安いので、内陸にもビジネスチャンスはあります。現在ほぼ月1回、中国へ出張しています。内陸はこの世界的な不況とも無縁で、活気がありますよ。
確かに今は経営的には厳しいですが、それはどの会社もみな同じです。日本も欧米も市場は成熟して、モノを作っても在庫になるだけ。そうであれば、将来性のある中国市場をめざすのは当然の流れだと思います。ただ、中国市場は入りにくいので、中国をよく知っている人と組んでやるのが成功への近道だと思います。私もできるだけ日本企業をサポートしたいと考えています。
(つづく)
投稿者 panda | 2009年6月23日 13:26