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2007年11月12日
お世話パンダの独り言
40数年前、大阪商工会議所入所面接試験の際、試験官から「志望の動機」はと聞かれ、「大阪経済の発展に尽くしたいと思います」と、今思えば冷や汗のかくような答えをした記憶が鮮明に残っている。運よく採用され、以後、いたって真面目にさまざまな仕事をこなしてきた。
世界に東西を遮る「鉄のカーテン」がかかっている時、日本海には「竹のカーテン」がかかっており、中国は近くて遠い国といわれていた。高校時代「鉄のカーテン」では一寸先も見えないが、「竹のカーテン」では竹の隙間から先が見えるのではないかとの持論で、世間では海外といえば「ハワイ」と言われていた時代に「これからは中国だ」を標榜して、友人たちに「なんで中国?」と冷ややかな目で見られたものだ。
時代は変わり、1972年、時の総理田中角栄が訪中し、日中国交正常化を果たした。それまで私は、北京から様々な書物を取り寄せて自分なりに中国を理解することに努め、1974年に念願の初訪中を実現した。私の初訪中から11年後、わが大阪商工会議所は「中国ビジネスコンベンション」という一大イベントを開催し、中国との経済交流を積極的に推し進めた。現在、日本と中国とは車の両輪のようになくてはならない関係になっている。2003年には「中国ビジネス支援室」を設け、日本企業の中国ビジネスのサポートを行っている。
私は「中国ビジネスコンベンション」の仕事に携わって以降、中国関係の仕事が多く、現在「中国ビジネス支援室」のアドバイザーとして、企業の中国ビジネスの相談という業務を通じてお世話をしている。そのことが、入所時の志望動機である「大阪経済の発展に尽くしたい」ということに繋がっていると思う。
半世紀近くかかってやっと、ささやかではあるが大阪経済振興の一翼を担えるようになったのではないかと自問自答している今日このごろである。
投稿者 panda | 2007年11月12日 14:52