大阪商工会議所ビル前の銅像について

大阪商工会議所ビルの前、若宮商工稲荷神社に向かう石段の下には、
大阪商工会議所の会頭3人の銅像が設置されています。
これらはいずれも堂島の旧大阪商工会議所ビルから移設されたものです。
3人の会頭は、それぞれ大阪の近代化や国際化に多大な功績があった方々で、
向かって左から初代会頭の五代友厚、7代会頭の土居通夫、10代会頭の稲畑勝太郎です。



   

○五代友厚○
  • 略歴
    第1代会頭/明治11(1878)年9月〜明治18(1885)年9月
    出身地/薩摩国鹿児島郡、天保6(1836)年12月26日生れ
    職歴/金銀分祈所・大阪活版所・弘成館・朝陽館・大阪製銅所等設立、株式取引所・商法会議所・大阪商業講習所創設など
  • 五代会頭についてはコチラもご覧ください。。




◎五代友厚銅像横銘板(碑文大意/「大阪市内所在産業経済史蹟碑の拓本」より転載)◎
君の諱(本名)は友厚、通称は才助、鹿児島藩士。
幕末日本の前途を察し、安政年間に長崎へ行って航海術を学んだ。そして藩の密命をおびて上海に潜航、軍艦を購入し、帰国後はその艦長となった。
のちに寺島宗則等留学生をひきいてヨーロッパを巡遊、各国の商工事業を研究し大いにうる所あり、帰って藩の商事を運営するとともに、始めて長崎にドックを設けた。
明治になって政府の参与に任ぜられ、外国官会計官判事、大阪府判事を歴任、従五位に叙せられた。
その後、官を辞して大阪に居を移し、金銀分析所を設け各地の鉱山を開いた。また商業会議所を創立、政界と財界の間をとりもって諸企業を奨励し会社を作り後の人の範となり公益をはかったことはまことに大であった。
明治十八年九月二十五日、五十才にして病のため没した。勲四等旭日小綬章を受く。知人や商業会議所議員が相談して、商業会議所の前庭に肖像を建て追慕の意を表わすことにした。
明治三十三年庚子九月
勅選議員 文科大学教授 正四位 勲三等
文学博士 重野安繹 撰ならびに書


○土居通夫○
  • 略歴
    第7代会頭/明治28(1895)年4月〜大正6(1917)年8月
    出身地/伊豫国宇和島、天保8(1837)年4月21日生れ
    職歴/大阪府権少参事、大阪控訴裁判所所長、鴻池顧問、京阪電気鉄道(株)社長、大阪電灯(株)社長など
  • 土居会頭時代には、関西・大阪の電気・鉄道網の整備等のインフラ整備を実施し、なかでも大阪・新世界で開催された第5回内国勧業博覧会の誘致・開催など大阪の近代化、国際化に大きな足跡を残しました。




◎土居通夫銅像横銘板(碑文大意/「大阪市内所在産業経済史蹟碑の拓本」より転載)◎
君の諱(本名)は通夫、宇和島藩士、本姓は大塚であるが土居家をついだ。
嘉永、安政以降の日本の行末を案じて脱藩、姓名を変え近畿に出て諸藩の志士と交った。
のち、藩命によって士籍に復し大阪に住み明治新政府の外国事務局につとめ従五位に叙せられた。明治十七年辞職して電灯会社紡績会社などを興した。
商業会議所の会頭には明治二十三年就任、その運営よろしきを得、欧米に外遊し七十才をこえる高令ながら清国をも訪ねた。
大正四年秋、即位の大禮にあたり、勲三等旭日中綬章を授かる。大正六年九月九日、八十一才で卒したが、特に正五位に段せられた。温厚な性格で、人の意見をよく聞き容れ誰からも信頼された。また、無膓と号する文雅の人でもあった。
大正七年戌午六月
正五位 藤沢南岳撰
梧窗湯川亨書


○稲畑勝太郎○
  • 略歴
    第10代会頭/大正11(1922)年12月〜昭和9(1934)年7月
    出身地/京都市、文久2(1862)年I0月30日生れ
    職歴/稲畑(株)・日本染料製造(株)・日土貿易協会・関西日仏会館設立など
  • 稲畑会頭時代には、そのフランス留学の経験を生かし、大阪の国際化に大きな貢献を行った大阪貿易学校の設立や、欧米への視察団の派遣をはじめとした貿易振興の活動を積極的に実施し、我が国の国際関係の改善に力を尽くしました。




◎稲畑勝太郎銅像横銘板(碑文大意/「大阪市内所在産業経済史蹟碑の拓本」より転載)◎
君は文久二年十月京都に生まれ、明治十年京都府からフランス留学生として派遣された。もっぱら染色化学を勉強し、ドイツやスイスにも渡って八年間研究した。帰国後は、染色、梳毛、洋反物、染料製造などの会社を企画したが、すべて成功した。
君の人となりは、英邁で豁達である上に人とは誠をもって接したので、衆みなその意見にしたがった。明治四十四年、大阪商工会議所議員に選ばれ、副会頭に三度、そして会頭を四期つとめた。
昭和九年七月、前後廿二年にわたる在職ののち辞任したが、その間日本商工会議所副会頭を兼ねた。
また、ルーマニア・バリビア・ベルギー・ポーランド・ポルトガルなどの名誉領事に任じ、しばしば外遊、各国の元首・名士を訪問し商工業を視察すること十回、国民外交に大きく貢献した。
正六位勲三等に叙せられ、ローマ法王などからも勲章を受けた。貴族院議員。君の功績を永く伝えるために大阪商工会議所の前庭に銅像をたてることを総会で決議した。
昭和十年七月 長尾甲、撰ならびに書