2008年11月25日

第4回 日中経済貿易センター (その1)

 中国ビジネス元気印!連載第4回は、日中経済貿易センターへお伺いしました。 

 日中経済貿易センターは日本と中国の経済交流促進を目的に1954年に設立された民間団体で、現在の会員数は約350社。主な事業は、対中貿易・投資のコンサルティング、インターネット情報サービス「JCCNET」運営、中国からの研修生受け入れ、セミナー・商談会の開催などです。

 お話を聞かせてくださったのはコンサルグループ部長の池田稔さん、郭志国さん、調査広報部部長の槌田博一さんです。

 池田さんは今年の春まで3年あまり、上海事務所長を務められ、帰国後は会員向けの情報提供や中国進出のコンサルティングなどをしておられます。

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のっぽ:
 上海でのお仕事はいかがでしたか?

池田:
 非常に充実していました。ただ、人が多いことや、乗りたい時にタクシーが全くつかまらなかったり、日本では感じないストレスも多かったですね。帰国して思ったのは「青い空はええなぁ」と言うことでした。(笑)上海は曇り空が多いのと空気がよくないのだと思います。

のっぽ:
 最近の中国ビジネスの傾向はいかがですか?

池田:
 日本企業からご依頼をいただいて、中国ビジネスのよろず相談や進出のコンサルティングをしていますが、進出する企業が数年前と比較すると「少なく」なっていること、中国へ進出する企業の規模が「小さく」なっているという「二つショウ(少・小)」の傾向があります。
 中小あるいは零細企業も中国を避けては通れない状況があって、今まで海外とは無縁であった方も中国との取引をお考えです。貿易は全く初めてという方には、商社経由の取引をおすすめしています。海外との取引は日本国内と違って、一筋縄ではいきません。多少の手数料はリスク回避のための経費とみていただきたいです。

のっぽ:
 大商中国ビジネス支援室へのご相談のなかにも、「サンプルとは違うものが届いた」「支払いをしたのに商品が届かない」といったご相談がありますが、トラブルになってからでは解決が非常に難しいですものね。

池田:
 トラブル回避のために商社のノウハウを活用させてもらえばいいわけです。
 当センターでは中国進出のお手伝いのほかに、当センターでは10年ほど前から1次受け入れ機関として研修生受け入れ事業を始め、現在、約50社のお手伝いをしています。研修生には日本で研修した後、中国の現地法人で中堅社員として活躍してもらっています。

(つづく)

投稿者 panda | 12:22

2008年11月19日

新潟のバス車内放送

先日、新潟へ行った時のこと。空港から市内へ向かう空港バスの車内放送は日本語のあと英語、韓国語、ロシア語が続きます。後ろの座席に座った女性も韓国語で子どもをあやしていました。新潟空港からは韓国・ソウル、ロシア・ハバロフスク、ウラジオストク、中国ハルピン等へのフライトがあり、そういえば、町を歩くとロシア系の人をちらほらみかけます。

大阪だと交通機関の車内放送は日本語と英語。街中の表示はプラス中国語、韓国語なので、韓国語、ロシア語の放送は新鮮な響きで、地域の特性を生かした国際交流はこういうものかなと思いました。

さて、新潟では、会津若松駅とを結ぶ「SLばんえつ物語号」に乗りました。
機関車は機械が動く音、石炭や油の匂い、そして熱。すごい迫力でした。

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この蒸気機関車は、鉄道に縁の深い新潟県新津市の小学校の校庭で保存されていたもので、年2回の点検を30年以上も続けてきたおかげで、状態がよく、平成11年に「復活」することができたのだそうです。すぐに何かに役立つものでもなく、それでも手間ひまかけて大切にする。そんな「思い」のおかげで、今こうして蒸気機関車に乗ることができるのですね。頭が下がります。

SLは現代の電車に比べるとスピードもゆっくり。
車内はレトロ調、汽笛は何とも懐かしい感じで、子どもの頃に見た「銀河鉄道999」を思い出しました。(笑)
沿線で見物する人、写真撮影をする人も多く、手を振ると笑顔で振り返してくれたり。とても和みました。

のっぽパンダ

投稿者 panda | 09:15

2008年11月14日

第3回 辰野(株) (その3)

のっぽ:
 経営でご苦労される点はどのようなことですか?

大田:
 第一にウルムチにも商業施設が増え、サービスの質も向上しており、競争が激しくなっています。ウルムチにまだ紹介されていないブランドも減っており、外資系の商業施設として他店といかに差別化するかに頭を悩ませています。そんななかで中国で非常に人気のある資生堂の化粧品を置く店舗を入居させ、集客力を高めようとしています。
 第二に販売員の定着率が低いことです。店頭で1日立っているのがしんどいようで、すぐに辞めてしまいます。そんななかで接客サービスの質をいかに維持するか、社員のレベルをいかに上げるかが問題です。
 また、エネルギー価格上昇の影響で空調費がかさむほか、最近は人件費も上昇しています。特に労働契約法施行により契約期間満了の場合でも退職者には退職金を支払うことになり、人件費負担が過大になる懸念があります。これまで販売員700人は当社が雇用していたのですが、法律施行を機に各店舗での採用に切り替えていただきました。

のっぽ:
 中国ビジネスに取り組む日本企業へアドバイスがあれば、お願いします。

大田:
 当地は内陸ではありますが、上海、ソウルから毎日フライトがあり、時間的にみれば上海から車で3~4時間かかる長江デルタの町と日本からのアクセスはあまり変わりません。中国をみる時は、日本からだけではなく、視点を変えてみてみていただきたいですね。

~インタビューを終えて~
 当初は社内でも反対の声が多かったという中国の内陸部での地下街開発プロジェクトですが、開業から10年あまり、政府による西部大開発プロジェクトも追い風となって大きく成長していました。その一方、ウルムチの消費市場も徐々に成熟し、競争が激しくなっており、辰野さんにとっては新たな挑戦が始まっているのかもしれません。事業の一層の発展を応援したいと思います。

テレビ大阪のホームページで辰野さんを取材した番組「13億人の深層 甦るシルクロードの大地」のダイジェスト画像をみることができます。

辰野(株)のホームページはこちら

のっぽパンダ

投稿者 panda | 14:32

2008年11月13日

第3回 辰野(株) (その2)

のっぽ:
 経営は順調ですか?

大田:
 おかげさまで直近では1億5千万元の売上げを達成しました。開業当初からみると営業面積は3倍に、売上げは4.5倍になりました。
 外資系地下街として他の専門店と差別化していくため、「ウルムチにはないブランドを80%以上」という戦略をたて、新しいファッション、新しいサービスを当地に紹介することを心がけてやってきました。店舗で扱っている商品の価格帯は、シャツ5,000円程度、ジャケット1~2万円程度で、「中の上」といったところでしょうか。ポイントカードも当社がウルムチで初めて導入しました。
 入居いただく店舗は衣料品、アクセサリーなどのファッション関係の有名ブランドに絞り、販売員もそれにふさわしい接客サービスができるよう日本式の販売員教育を行なっており、日本と遜色ないレベルです。接客サービスを評価いただけるのはうれしいですが、ヘッドハンティングされるのには参りました。
 売上げ不振の店舗には退去していただきます。中国での生産が多い日本のアパレルメーカーですが、デザインは基本的に日本向けで、中国のテイストとは異なり、そのままでは売れない事も有り、結果的に撤退頂いた日本のアパレルメーカーさんもあります。

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  地下街「辰野名品広場」の平面図。 ※写真=辰野(株)提供
 
のっぽ:
 営業面積以上に売上げが伸びていて、すばらしいですね。
 最近、中国も変わったなと感じることはありますか?

大田:
 販売員になるのは高卒の若者が多いですが、ほとんどが一人っ子なので、おっとりしていて、おとなしいです。よくも悪くも40歳前後の世代まではハングリー精神がありますが、今の若者にはそういった空気は感じられません。このままでは中国の20年後は大丈夫かなと、若干心配になります。

(つづく)

投稿者 panda | 13:10

2008年11月11日

第3回 辰野(株) (その1)

中国ビジネス元気印!連載第3回は、辰野(株)へお伺いしました。

 辰野は昭和9年(1934年)創業、繊維・不動産事業等をされています。同社が進出したのは、中国北西部にある新疆ウイグル自治区の首府・ウルムチ。かつてシルクロードのオアシスとして栄え、現在も230万人の人口を抱える自治区内最大の都市です。

 大阪商工会議所は1997年に当時の堀田輝雄副会頭(伊藤忠商事相談役)を団長に、中国内陸部の投資環境を調査するための視察団を派遣。ウルムチで見学させていただいたのが、辰野が地元資本と合弁で建設中だった地下街開発現場でした。建設期間を短縮するため、街いちばんの目抜き通りを完全に封鎖して、完全堀開式施工(オープンカット)方式で建設が進められており、大きな穴が開いていました。

 それから10年あまり。その後どのように発展しているのか。地下街建設からその後の運営まで一貫して担当しておられる同社繊維事業部アパレル部門アパレル営業第Ⅱ部 兼 海外事業部ASIA開発部次長の大田浩一さんにお話を伺いました。

のっぽ:
 ウルムチでの事業をはじめられたきっかけや地下街の概要について教えて下さい。

大田:
 ウルムチから日本へ来ていた留学生の誘いで1996年に現在の辰野元彦副社長が初めて現地を視察したのがきっかけです。その際に地元から提案があったプロジェクトの一つが地下街の開発でした。
1998年に「辰野名品広場」という名称で地下街をオープンさせました。
 我々のコンセプトは、「新疆一清潔で明るい、ハイセンスな地下街」です。ウルムチは内陸ではあるものの自治区政府所在地ですので、「裕福な人は多い」というのが進出当初も今も変わらない印象です。
 2007年5月には第三期まで工事が完成し、総面積は開業当初(3,500平方メートル)の3倍強、13,000平方メートルへと拡大しました。


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 ※写真=辰野(株)ご提供

(つづく)

投稿者 panda | 10:32


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