2007年11月29日

横浜探偵物語(2)

釈然としないまま、3人は資料館に向かうことにする。マイケルは当時の記録があるはずだという。近所にいくつか博物館があり、どれにいけばいいか良くわからない。日本語がわからない二人は私にまかせるという。こういうときには勘をとぎすまさなくては。

横浜開港資料館を訪ねることにする。受付で事情を話し、資料館に入る。1920年代の日本の商工業者の名簿の英語バージョン、「ジャパン・ダイレクトリー」をあたる。私たちは探偵気分だ。なんとか見つけたいけれど、数が多い。どこをみていいのかもわからない。時間も残り1時間をきった。

事情を話して、資料館の担当者に協力してもらう。どこか奥の方の書庫を探していた担当者が、古い本片手に戻ってきた。そこには、マイケルのお祖父さんの名前、会社の名前が掲載されていた。ほぼ同じタイミングで、何十冊もあるジャパン・ダイレクトリーの中から、彼のお祖父さんの名前がみつかった。静かな資料室、私たちは声をおさえ、ハイタッチで喜びを表現した。 (続く)

投稿者 panda | 11:40

2007年11月19日

インド貿易振興局

インド貿易振興局(India Trade Promotion Organization, ITPO)のダレル・シン駐在局長が東京着任のご挨拶に来られました。

インド貿易振興局は、インド製品の輸出促進のために設立された商工省管轄の独立法人で、日本には東京事務所があります。大阪で毎年「インド衣料品展」を開催しているほか、「インド家庭用品展」を大阪と東京で交互に開催していますので、繊維関連の方にはおなじみかもしれませんね。

インドでは、伝統的に盛んなテキスタイル産業に加え、最近では情報通信産業(ICT)、バイオ産業の発展が著しい、とのお話でした。バイオの中心地は、ICTと同じバンガロールだそうです。大阪も、バイオ産業には力を入れていますので、「彩都」をはじめとする大阪の状況を紹介しました。

インド貿易振興局は、海外のバイヤーに対して、インドの製品やサプライヤーに関する情報提供、インド企業との会合、見学などのアレンジを無料で行なっています。インドビジネスに関する情報はまだまだ少ないなか、情報収集にお困りの方は一度ウェブサイトをのぞいてみてください。

★インド貿易振興局
 東京事務所 (日本語)
 ニューデリー本部 (英語) 

のっぽパンダ

投稿者 panda | 13:45

2007年11月15日

貿易部会 大阪港見学会

貿易部会」は大阪商工会議所の会員のうち、貿易を営んでいる方で構成されており、国際部がその事務局をしています。

貿易部会では、毎年港湾施設等の見学会を実施しており、毎年ご好評を頂いています。

今年は今月21日に大阪市港湾局ならびに山九株式会社の全面的なご協力を得て「大阪港通関業務見学会」を実施します。定員50名のところに締切までになんと130名を超えるお申し込みを頂きました。

昨年は先着順に受け付けましたが、ご案内をお送りしたその日の午後には定員に達してしまいました。そこで、今年は抽選方式にしたものの、それでも皆様のご希望には副えないのは変わらず、お申し込みの半数以上の方に落選通知をお送りすることになってしまいました。

できれば全員の方にご参加いただきたいのですが、安全面や施設等の定員を考えればこれが精一杯です。落選通知をお送りした方、どうぞご容赦下さい。

当日の様子はまたこのブログでご報告します。

のっぽパンダ

投稿者 panda | 13:31

2007年11月12日

お世話パンダの独り言

 40数年前、大阪商工会議所入所面接試験の際、試験官から「志望の動機」はと聞かれ、「大阪経済の発展に尽くしたいと思います」と、今思えば冷や汗のかくような答えをした記憶が鮮明に残っている。運よく採用され、以後、いたって真面目にさまざまな仕事をこなしてきた。
 世界に東西を遮る「鉄のカーテン」がかかっている時、日本海には「竹のカーテン」がかかっており、中国は近くて遠い国といわれていた。高校時代「鉄のカーテン」では一寸先も見えないが、「竹のカーテン」では竹の隙間から先が見えるのではないかとの持論で、世間では海外といえば「ハワイ」と言われていた時代に「これからは中国だ」を標榜して、友人たちに「なんで中国?」と冷ややかな目で見られたものだ。
 時代は変わり、1972年、時の総理田中角栄が訪中し、日中国交正常化を果たした。それまで私は、北京から様々な書物を取り寄せて自分なりに中国を理解することに努め、1974年に念願の初訪中を実現した。私の初訪中から11年後、わが大阪商工会議所は「中国ビジネスコンベンション」という一大イベントを開催し、中国との経済交流を積極的に推し進めた。現在、日本と中国とは車の両輪のようになくてはならない関係になっている。2003年には「中国ビジネス支援室」を設け、日本企業の中国ビジネスのサポートを行っている。
 私は「中国ビジネスコンベンション」の仕事に携わって以降、中国関係の仕事が多く、現在「中国ビジネス支援室」のアドバイザーとして、企業の中国ビジネスの相談という業務を通じてお世話をしている。そのことが、入所時の志望動機である「大阪経済の発展に尽くしたい」ということに繋がっていると思う。
 半世紀近くかかってやっと、ささやかではあるが大阪経済振興の一翼を担えるようになったのではないかと自問自答している今日このごろである。

投稿者 panda | 14:52

横浜探偵物語(1)~90年前の横浜、マイケルのお祖父さんの足跡を探して

横浜で開催された国際会議のレセプションで、シカゴからきた二人の外国人と出会った。そのうちの一人、マイケルのお祖父さんは、なんと100年近く前、横浜で会社を興し、生糸の貿易を行っていたとのこと。明日の午前中に二人でその足跡を探してみるという。フライトの関係で探す時間は2時間きり。翌日お休みだった私は、助太刀を申し出た。

ホテルのロビーで9時集合。横浜スタジアムの近くのYMCAが、会社のあった場所というので、タクシーで向かう。建物の前で写真をとるが、なんだか物足りない。少し、YMCAの人に話を聞いてみることにする。事務局の人は百年史を片手に、私たちの話を聞いてくれた。ところが、おかしなことに気づいた。お祖父さんが日本にきた時点ですでに、そのYMCAは設立されていたのだ。あれ???????

不思議パンダ

投稿者 panda | 14:41

2007年11月 6日

なぜ、タイトルが『パンダ日記』なの?

不思議パンダがお答えします。

(1) 忙しい日々をすごしている読者に、HPをみて、ほんの少しだけでも、ホッとしたり、プッと笑ってほしいから。ゆっくり、のっそり動く癒し系、可愛いパンダを選びました。

(2) パンダの模様は白と黒。白か黒かでなく、白も黒も。世の中には正反対のものであふれている。プラスとマイナス、明暗、男女、長所と短所、熱いと寒い。国際部もそう。インターナショナルといえば華やかなイメージ、でも舞台裏は地味な作業の連続です。だから、私たちは白と黒をあわせもつパンダに、とっても惹かれるのです。

(3) 国際部が力を入れている国のひとつは中国。「中国ビジネス支援室」を2003年に設置してから、これまでの相談件数は1000件を超えました。21世紀はアジアの時代、その中心が中国と日本。日中友好シンボル、パンダをマスコットに選びました。

投稿者 panda | 09:27

2007年11月 5日

ブログ、はじめました。

こんにちは。のっぽパンダです。
このたび、大阪商工会議所の国際部スタッフでブログ「パンダ日記」をはじめました。海外からのお客さまとの交流やイベントを通じて見聞きしたことや、日々感じることなどを、スタッフの視点で書いていきたいと思います。
どうして「パンダ日記」なのかは、おいおいお話いたします。

ところで、今日は何の日かご存知でしょうか?1972年(昭和47年)に日中国交正常化を記念して、中国から日本に送られたパンダのランラン(メス)とカンカン(オス)が初めて公開された日、だそうです。当日は愛くるしいパンダを一目見ようとどっと人が押し寄せ、2時間並んでパンダ舎を通過するのはわずか50秒だったそうです。

これにちなんで、私たちの「パンダ日記」も本日初公開。はじめは試行錯誤すると思いますが、どうぞよろしくお願いします。

投稿者 panda | 11:20


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