2014年11月16日 19:47

道修町の風景

こんにちは、あお吉です。一気に寒くなりましたね。

 先日、大阪企業家ミュージアムで実施している「講座・おおさかを知る」の一環で、ミュージアムがある大阪産業創造館から東横堀川沿いに北上し、道修町1丁目で西に折れ、旧小西家住宅までゆっくり歩く機会がありました。

大阪産業創造館を住処にしながら、ほとんど歩いたことがないコースだったのですが、初めて気づいたことがあります。

 1つは、東横堀川河岸公園です。建物の裏側に公園があったとは・・・・。

もう1つは、東横堀川に沿って、医薬品の会社の建物がずらりと並んでいることです。

道修町は、「薬の町」であり、道修町1丁目、2丁目、3丁目、4丁目と東西方向に歩くと、「さすが薬のまち!医薬品関係の会社が今も多いなぁ」とは思っていましたが、南北方向に歩くことがほとんどなく、「ここにもあったのか!」という発見でした。

目を引いたのが、この建物です。ガラス窓が全くありませんでした。

塩野義製薬 東倉庫.jpg

製薬会社の東倉庫という古い看板がかかっていました。

道修町についてご講演いただいた三島佑一先生(四天王寺大学名誉教授・船場大阪を語る会会長)のご説明では、以前は東横堀川に沿って、製薬会社の窓の無い倉庫が並んでいたそうです。窓が無いのは、「日光で薬が化学変化を起さないようにする意味がある」というお話を元製薬会社にお勤めだった方からお聞きしました。

 少しわかりにくいのですが、この写真の建物の右側に細い柵があるのがお分かりでしょうか。

この柵のむこう側に階段があります。ほとんどの階段は現在使用されていないようですが、この階段を下って行くと東横堀川河岸公園があります。

 東横堀川を行く船から、唐薬や和薬の荷物の積み降ろしが行われていたのかなと想像することができ、道修町を含む船場の歴史を感じました。

 大阪企業家ミュージアムの展示企業家で道修町や薬にゆかりのある企業家はたくさんいらっしゃいます。薬を本業とされた方以外では、例えば、サントリーの創業者・鳥井信治郎氏が道修町の薬種問屋で奉公をしていました。

 昔の地図を眺めながら、まちを歩き、大阪企業家ミュージアムにもお越しいただくと、昔の風景がより一層想像しやすいのではないでしょうか。

 ぜひ、お立ち寄り下さい。

投稿者 museum | 2014年11月16日 19:47