2014年07月31日 18:40
りょく吉 大阪検定回答に悩む!
おっちゃん、この問題、解説してくれへんか?
なんのことやら全然わからへん・・・
お、なにわなんでも大阪検定か
どれどれ
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【問題】
長州藩の出身で、大阪で阪堺鉄道や大阪商品取引所などの
設立に関わり、大阪商法会議所の2代会頭を務めた人物の
邸宅跡が、大阪市都島区網島にあります。
現在は、大阪市公館、宴会・会議場、庭園、またその人物の名を
冠した美術館などとして使われています。
この人物は誰でしょう?
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うーん
・・・りょく吉、どこがわからんかった?
全部や!
だいたい、長州藩いうことは江戸時代の人なんか?
阪堺鉄道って、天王寺と堺間の路面電車・阪堺電車(阪堺電気軌道株式会社)のことか?
大阪商法会議所って、大阪商工会議所とは別の組織なんか?
美術館ってどこのことや!
わからん言葉ばかりで誰やいわれてもわからへんわ!
まあまあ、落ち着いて
・・・ゆっくり考えてみような
鉄道は、幕末に薩摩藩、佐賀藩、幕府でも検討はされているけど、実際には明治以降や。だから、この人物は江戸時代生まれの明治の企業家ということや。
そうか・・・
ということは、この阪堺鉄道や大阪商法会議所もその頃の名称か?
そのとおりや
阪堺鉄道は、明治18年12月27日に難波~大和川間開通が始まりや。
今の南海電鉄(南海電気鉄道株式会社)やな。
大阪商法会議所は大阪商工会議所やな
調子出てきたな。
ということは、
長州藩出身の明治の有名な企業家
南海電鉄の創業にかかわった企業家
大阪商工会議所の2代目会頭
その人の名前にちなんだ美術館のある人
といったヒントがこの問題にはあるわけや
さあ、これでだれかわかったかな?
南海電鉄の創業ということは松本重太郎さんやな!
茶人・数寄者としても有名やったいうし
松本美術館って、いかにもありそうな名前や
おしい!
松本さんは確かに「豆男」いう話が残っているほど、南海電鉄の創業に深くかかわっているけれど京都出身やし、大阪商工会議所の会頭はしてへん
*豆男:松本重太郎は、大阪と堺を結ぶ鉄道の調査のため、和服のたもとに豆をいれて、荷車や通行人が通るたびに豆を使って数えたという。
ということは・・・・
わかった、藤田伝三郎やな!
そういえば、藤田邸跡公園や太閤園にいったときに、そんなこと書いてあったわ
正解!
稲畑さんは、大阪商工会議所の前に銅像もある会頭やけど京都出身やから ×
金森さんは、鉄道会社(近鉄)やけど、大阪出身やし大阪商工会議所の会頭はしてへんから ×
おっちゃん、ありがとう!
で、次は、この問題や・・・・
どれどれ (延々と続きますので省略)
よーく、わかったわ、ありがとうな
どういたしまして
ただな、りょく吉、解けた!解けなかった!
だけやなくて、できれば、これを機会にまわりを見てほしいんや
まわり?
そうや
わしらのまわりには色んな製品があり、色んなサービスがある。
けど、それはどれもが、誰かが必死になって作りだしたんや
昔は、宅急便もコンビニエンスストアもお湯をかけただけで食べることができるインスタント食品もなかった。
それを考え、実行し、やりぬいた人たちがおるんや。
経営者だけやないで。
そこで働く人たち一人ひとりが必死になって考え出したもんや。
そして、今度は、それをやる番は・・・
おいらたち! やな
そうや
そのためには、誰がなにを作っただけやなくて
今までの人たちがどんな志で、変化をよみとり先見性をもって挑戦をしたか。
挑戦すれば当然困難がある。その困難を創意で、自らの力で、最後までやりぬく意志で
なしとげていった、その企業家精神を学び、これからの参考にして欲しいんや。
わかった!
わいは、やるで
ええ、アイデア出すで~
そのかわり、おっちゃんも出資してーナ
う!
よ・・よっしゃ~
ええアイデアで、ちゃんと最後までりょく吉が頑張ると信じさせてくれたら、老後の資金を賭けたるわ
燃えてきたで~
おっちゃんの老後はまかせといてや!
まかせたでー!
(といいつつも内心、不安だらけのおっちゃんであった)
投稿者 museum | 18:40
2014年07月25日 11:38
夏休みの課題研究、企業研究に最適です
蝉の鳴き声が聞こえ始めると、いよいよ梅雨明けかなと感じ、日本三大祭のひとつである
“天神祭”の関連イベントが始まると「いよいよ夏本番!」。日差しも一気に厳しくなるような
気がします。暑さは増しますが、ギャル神輿、陸渡御、船渡御、花火、屋台と楽しみも増し
ますね。
それにしても暑いです。今年は“冷夏”という予想がありましたが、あお吉にはやはり暑く
感じます。お祭りにお出かけの際は、熱中症対策を万全にしてお出かけ下さい。
さて、学生さんは、そろそろ夏休みですね。小中学生のお子さんがいらっしゃるご家庭では、
新しい生活のリズムがスタートしたところではないでしょうか。
はるか昔のことですが、我が家でも、「宿題は早く済ませなさい!!」「は~い」という会話
から始まり、「宿題が終わってない・・・。手伝って~」「だから言ったじゃない」という会話で
夏休みの終盤を迎える、ということを毎年繰り返していたように思います。
夏休みの自由研究のテーマに“企業家の研究”、“大阪発の商品の研究”など、いかがで
しょうか。「企業家についてまとめる」という課題を出されている市内の中学校もあり、
お友達同士、親御さんと、など様々な形でご来館いただいています。
社史が豊富に揃うライブラリーもありますので、企業研究にもご利用いただけます。
就活生の皆さんも、ぜひご利用下さい。
課題作成に困ったり、企業研究のアプローチ方法に困ったら、黄色いエプロンをつけた
サポートスタッフの皆さんに声をかけてみて下さい。アドバイスやヒントをいただけると
思います。
小学生のお子さんでも、クイズを解きながら館内を回っていただけますし、受付で
おっしゃっていただければアニメのビデオもご覧いただけます。ご家族で楽しんで
いただけるミュージアムです。
ご来館を心よりお待ちしております。
投稿者 museum | 11:38
2014年07月16日 16:55
将来の大阪の経済を背負ってたつ「OBF」の生徒さんたち
こんにちは、あか吉です。
まだ梅雨明け宣言はありませんが、気温は真夏並みになってきてきました。
湿度と暑さのダブル攻撃で、あか吉は少々夏バテ気味です(苦笑)。
先週、大阪市内の小学校に出前授業に行ってきましたが、子どもたちは元気
です。
そうです!大阪市立の小中学校は今週末から夏休みに突入です!
気持ちの上ではもう夏本場ですね。
さて皆さん突然ですが、「OBF」って何の略かご存知ですか?
「O」おおさか、「B」ビジネス、ここまでは予想がつきますが、「F」はいったいな
んでしょうか???
正解は、今から2年前の平成24年、将来、大阪のビジネスを背負って立つグロ
ーバル人材を育てようと!と開校した「大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等
学校」の略称です。
☞ http://www.ocec.ne.jp/hs/obf/
「商いの街・大阪」にはもともと大阪市立の商業高校が6校あり、そこを巣立った
卒業生の多くが大阪のビジネス界で活躍されています。
その中でも、明治45年創立の「天王寺商業高校」、大正8年創立の「市岡商業
高校」、大正9年創立の「東商業高校」は伝統校として多くの人材を輩出してき
ましたが、その3つの高校が統合し、「大阪ビジネスフロンティア高等学校」が誕
生しました。
同校は、全国で唯一の「グローバルビジネス科」を有し、商業高校で身につける
簿記をはじめとするビジネススキルに加え、英語、IT、そして大学の講義にも勝
るとも劣らない高い専門性のあるビジネスカリキュラムを学ぶことができる高校
です。
そんなOBFの1年生全員が、開校以来毎年夏、大阪企業家ミュージアムに見学
にきてくれています!
将来、大阪のビジネスを支える若者に、これまで大阪の経済・産業の基礎を築い
てきた先輩たちの事績や思いを伝えることによって、ビジネスへの関心や学びの
意欲を高めてもらおうというのが目的です。
(熱心に見学するOBFの生徒さん 7月15日)
ところで、OBFと大阪企業家ミュージアムを運営している大阪商工会議所は兄弟
みたいなもんなんです!
前述のとおり、OBFの前身校の一つは天王寺商業高校。
天王寺商業高校は、明治13年、五代友厚が大阪・立売堀に創立した大阪商業
講習所がルーツとなっています(同じ大阪商業講習所にルーツを持つ教育機関
として大阪市立大学がありますね)。
そして、皆さんご存知のように明治11年、大阪商工会議所を設立したのも五代
友厚。
つまり、OBFと大阪商工会議所は五代さんをお父さんにもつ兄弟なんです(大阪
商工会議所が2歳年上のお兄さんですね)。
こういうご縁もあり、OBFの生徒さんたちに大阪企業家ミュージアムをご見学い
ただいています。
「大阪の恩人」と呼ばれる五代さんを父にもつOBFの生徒さんの中から、将来の
松下幸之助さん(パナソニック創業者)や小林一三さん(阪急電鉄創業者)が出て
くるかもしれません!
ぜひ、日本、そして世界をリードするような企業家になっていただき、大阪のため
に頑張っていただきたいと思います!
大阪企業家ミュージアムでは、高校生はじめ小学校高学年、中学生のご見学用
にアニメを取り入れたプログラムも作成しています。
社会見学、修学旅行でのご利用をお待ちしております!
お問い合わせは、06-4964-7601まで。
投稿者 museum | 16:55
2014年07月09日 19:08
今年度の講談始まる
おっちゃん、今回のシャープの早川さんの講談もおもろかったな~
そーやろ~。
小二三さんは、綺麗やし、話はうまい!
まず、あの服装から、
お! 今から始まるぞ! と、期待感が盛り上がるもんな~
それに比べて・・・・
はーーーーー
なんや、その深ーーい、ため息は
あんな~、おっちゃんには、お客様に喜んでいただこうという工夫が足らん!
そ・そんなことないで、いつもガンバっとるで!
アカン!
もっと、期待感を盛り上げるような服装をおっちゃんもせなあかん!
「セーラー服おじさん」 いうのが話題になっとるけど、それをやれと
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1405/22/news073.html
そやなくてな、なんか、こうあるやろ、
とにかく最初にオッ! と思わせる工夫が!
おっちゃんには、それが足らん!
そういわれても・・・
「やってみなはれ」の精神やで!
りょく吉、お前なんかあったんか
ようすおかしいで・・・
ウ!
・・・わい、ちょっと変やったか
いつもよりさらにな
そうか・・・・わかってもうたか
あんな・・・講談、おもろうていい気分やったんや
けどな、翌日があかん
・・・大阪検定や
むつかしかったんか
うん・・・歯が立たんかった
そうか・・・
合格はあきらめるか
今回はな!
けどな、わいは、あきらめが悪いんや
次こそ、受かったる!
あきらめへんで
講談で聞いた早川さんの苦労や不幸に比べたら
屁でもないわ!
それでこそ、りょく吉や!!
・・・けど、わいは今落ちこんどるんや
だから、な・・・
なんかおもろい恰好をして笑わせてや
そない急に、おもろい恰好いわれても
そや、昔、女装やらされた時の写真ならあるけど・・・
・・・見る?
おもろそうやな・・・
どれどれ
(注:おっちゃんの女装写真をあげる予定でしたが、見苦しいと非難殺到のためやめました)
ギャハハ!
おっちゃん・・・・これは絶対受けるわ
けど、 企業家の話にはならんわ
笑うだけでおわってまうわ
やっぱ、おっちゃんは服装やなくて、話の内容をもっと考えるしかないな
次会の講談は、大和ハウス工業・創業者 石橋信夫さんやな
再演いうけど、まったく同じにするんか
いや、前回の反省をいかしてやるで!
小二三さんとも打ち合わせ中や
もっともっとよくするで!
「常に一歩前進することを心がけよ。停止は退歩を意味する。」
野村徳七(野村証券創業者)の精神や!
よっしゃ、前よりもっとよくわかるようになるんやな!
頑張るで!
期待してや!
わかった、期待しとるで!
わいも次や!
次の大阪検定こそ、合格したる!
・
頑張るぞー
オー!
【大阪企業家ミュージアムからのご連絡】
今後の 講談で聞く企業家のスケジュールは、こちらをご覧ください
http://www.kigyoka.jp/koudan01_04.pdf
石橋信夫氏(大和ハウス工業創業者)
鳥井信治郎氏(サントリー創業者)は昨年の再演ですが
まったく同じではなく、前回の反省をいかして実施します
昨年、参加された方も是非、ご参加ください
投稿者 museum | 19:08
2014年07月08日 16:38
道修町今昔
じとじと、むしむし・・・・不快指数の高い日が続くと辛いですねぇ。
でも、梅雨のこの時期に雨が降らなければ、夏場に水不足で困るので、ここは我慢の季節ですね。
あお吉は、梅雨の晴れ間を見つけて道修町を歩いてみました。
道修町1丁目では、こんな懐かしの看板を掲げている漢方薬店がありました。
道修町2丁目には、昨年9月に移転してきた、公益財団法人武田科学振興財団が運営する医薬関係の資料館「杏雨書屋(きょううしょおく)」があり、春夏の特別展示の他、常設展示も公開されており、研究者でなくても見ることができるようになっています。
その斜め向かいには、薬の神様を祀る少彦名神社があります。神農さんのキャラクターパネルが飾ってありました。昔からの大衆薬品も展示されていて、親しみやすい神社です。
この神社の社務所ビルの3階にくすりの道修町資料館http://www.sinnosan.jp/dosyoumathi-index.htmlがあります。こちらは、道修町の歴史、生薬の展示、古文書の数々の他、大正時代の道修町の町の様子がジオラマで再現されていました。
現在、医薬品業界の再編制が進み、会社の数自体がかつてに比べて減ってはいるものの、道修町1丁目から4丁目まで歩いてみると、やはり医薬品関係の会社が多いなぁと感じました。
大阪企業家ミュージアムでは、医薬品・化学関係の企業家として、武田長兵衛(5代)、田邊五兵衞(12代)、塩野義三郎(初代)、藤澤友吉、森下博、上山英一郎を常設展示コーナーでご紹介しています。さらに、現在開催中の「地図・絵葉書・写真で見る企業家」で展示している明治39年の地図をご覧いただくと、道修町1丁目から4丁目はずらりと薬種商が並んでいるのが一目でわかります。
ご来館をお待ちしております。
投稿者 museum | 16:38
2014年07月05日 19:07
企業家ミュージアム★メールマガジン★ 第36号!
>>2014年7月5日(土)発行<<
みなさん、こんにちは。
「企業家ミュージアム メールマガジン」第36号の本号は、毎日新聞月曜日
夕刊に2012年4月9日から2014年1月27日まで掲載していた、企業家
の名言や座右の銘をコンパクトにまとめた『大阪の道標』の第15回です。
ミュージアムで紹介している企業家たちの珠玉の名言、座右の銘をお楽しみ
ください!
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★今月の名言!(第15回)★
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自分の魂を打ち込んだ品物を創りだすこと、
又其の品物には正しき意味に於ける商品価値を具現せしむること
久保田権四郎 クボタ創業者(1870~1959)
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1870(明治3)年広島・因島の農家に生まれた権四郎は14歳の時に一人、近代
的な造船業を目指して大阪に向かった。知人のいない町を歩き回りやっと見つけた
仕事が鋳物屋の子守、使い走りであった。誰も技術を教えてくれない中、見よう見ま
ねで技術を習得していった。後にその熱心さが認められ、本格的に教えを受ける
とたちまち頭角を現し、19歳で独立を果たした。
明治の時代、日本は数年おきにコレラの流行が続いた。水を介して広まる伝染病対策
のため政府は水道施設の整備を進めた。多くの鋳物業者がその製造に挑戦をしたが技
術不足で失敗が続いた。
権四郎は鉄管製造こそ国益にかなう事業と考え、「外国人にできて日本人にできない
ことはない」の信念で挑戦を続けた。7年目の1900(明治33)年に初めて「合わ
せ目のない鋳鉄管」の製造に成功。13(大正2)年には従業員1200人を 超える
大企業へと急成長を果たした。その後も、工作機械、エンジン、耕運機とさまざな事
業を展開した。
製品は、技術的に優れていることだけでなく、国の発展に、社会の皆様に役立つもの
でなくてはならない。そのDNAは今もクボタの経営理念に受け継がれている。
<毎日新聞 2012年9月3日 夕刊>
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久保田権四郎については、企業家ミュージアム<第2ブロック:大衆社会の形成―
重工業発展の基礎を築く>で、鋳鉄管と産業機械の技術革新に情熱を注いだ人物と
して展示しています。
▼大阪企業家ミュージアムで展示している企業家についてはこちら。
http://www.kigyoka.jp/exh/ent/index.html
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■編集後記■
お読みいただき、ありがとうございました。
「外国人にできて日本人にできないことはない」という強い信念のもと、先進国
である欧米に追い付き追い越せと孤軍奮闘した明治時代の企業家達。
権四郎の事績からもその熱い思いが伝わってきます。
欧米技術の模倣からスタートしながらも、常に改良を加えながら独自の技術をつ
くりあげた日本のモノづくりの原点はこの時代にあった気がします。
先人たちのあくなき「チャレンジ精神」の上に、今の我々の快適・便利な生活が
成り立っています。当たり前のように使っている製品や技術は、どれだけ多くの
人たちの汗と涙の結晶なのか…。
平成の時代を生きる我々も今一度往時に想いを馳せ、先人たちが培った恩恵を享
受するだけではなく、次の時代に何を残せるのかを考えなければいけないと痛感
します。
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【発行日】 2014年7月5日
【発行元】 大阪企業家ミュージアム
電話 06-4964-7601
FAX 06-6264-6011
e-mail museum@osaka.cci.or.jp
http://www.kigyoka.jp/
※━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━※
投稿者 museum | 19:07