2013年11月05日 18:38

企業家ミュージアム ★メールマガジン★  第17号!

>>2013年11月5日(火)発行<<

みなさん、こんにちは。
「企業家ミュージアム メールマガジン」第17号の本号は、毎日新聞月曜日夕
刊に掲載している企業家の名言や座右の銘をコンパクトにまとめた『大阪の道標』
の第7回です。
ミュージアムで紹介している企業家たちの珠玉の名言、座右の銘をお楽しみくだ
さい!

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★今月の名言!(第7回)★

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 足らざるを以て足れりと為す
  
    菊池恭三 大日本紡績社長
         (1859~1942)

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日本の綿業を世界の綿業に導いた先駆者が菊池恭三である。大阪紡績の山辺
丈夫、三重紡績の斎藤恒三と並んで「綿紡技術者の先覚三博士」と称された。

1859(安政6)年、愛媛の庄屋に生まれた菊池は、造船業を志して工部大学
(現東京大学工学部)に入学。卒業後、横須賀造船所、造幣局勤務を経て、
1887 (明治20) 年、紡績技術習得のため英国へ留学することを条件に
平野紡績に転職。帰国後、尼崎紡績、摂津紡績からも技術指導を求められ、
3社の技師長を兼務した。

1918(大正7)年、尼崎と摂津の合併で誕生した大日本紡績(現ユニチカ)
で、菊池は初代社長に就任。1901(明治34)年の尼崎紡績社長就任以来
40年近く、一度も欠損や無配に陥ることはなかった。事業の多角化を図るべ
く絹紡糸や羊毛も手掛け、26(大正15)年には日本レイヨンを創設。化学
繊維への進出も果たした。

そんな菊池の工部大学校時代のニックネームが「大蔵大臣」。無駄を省いた
堅実な生き方を終生貫き、後に揮毫を頼まれると「不足為足(足らざるを以
て足れりと為す)」と書いたという。若い時から質素倹約に努め、学友を感嘆
させた菊池の合理主義精神が、優れた経営手腕の原点になっている。

                <毎日新聞 2012年6月11日 夕刊>

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菊池恭三氏については、企業家ミュージアム<第1ブロック:近代大阪の経済
基盤を築く>で、産業基盤づくりを支えた人物の一人として展示しています。

  ▼大阪企業家ミュージアムで展示している企業家についてはこちら。
  http://www.kigyoka.jp/exh/ent/index.html

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■編集後記■

お読みいただき、ありがとうございました。
明治維新を機に、世界に大きく門戸を開いた日本。
日本という新しい市場めがけて、多くの製品が海外から入ってきました。
綿製品も然り。
日本の紡績業を育成・発展させるために多くの若者が西洋へ渡り、最新の技
術を学び持ち帰りました。菊池恭三もその一人です。
明治時代の企業家は、自らの会社のためだけではなく、業界、ひいては国が
発展・繁栄することをめざし、研鑽・努力した人たちです。
今の日本人が忘れかけているこの「報国」の志。大切にしたいです。
 
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 【発行日】  2013年11月5日
 【発行元】  大阪企業家ミュージアム
         電話 06-4964-7601
         FAX 06-6264-6011
         e-mail museum@osaka.cci.or.jp  
         http://www.kigyoka.jp/
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投稿者 museum | 2013年11月05日 18:38