2012年12月04日 19:38

産業の近代化の光と影~染色今昔

あお吉です。こんにちは。

秋から冬に変わろうとする今の時期、紅葉が目に鮮やかですね。
これから“寒色”の季節を迎えるにあたって、我々に心の準備をさせるかのように、
自然が■赤■黄■橙■緑■茶と“暖色”の世界を見せてくれている、そんな風に感じます。

あお吉は、色の王者は“紫”だなと思いますが、皆さんはいかがですか?
洋の東西を問わず、“紫”には高貴なイメージがあると言われています。
これは、古代、紫色を作り出すために必要な紫草や紫貝は、非常に手にはいりにくく、
染色にも手間がかかったため、高貴な人しか身に着けることが許されなかったからだそうです。

さて、この染色は、江戸時代の頃までは、草や木や花など天然のもので染めるのが
あたりまえでした。それが、明治に入り、殖産興業政策で産業の近代化をひたすら
目指すことにより、染料も天然のものから化学染料に取って代わられていきます。
量産に対応するには天然のものでは間に合わなくなったのですね。
もちろん、化学染料の登場によって、一般の人々も華やかで多彩な色を楽しめるようになります。
昔は、天然の染料で鮮やかな色に染めるには、大変なコストがかかったため、
鮮やかな色は、身分の高い人しか身につけられませんでした。

大阪企業家ミュージアムの展示企業家のお一人、稲畑勝太郎さんは、1877年にリヨンに留学。
染色の技術と化学を15年間学んでこられます。帰国後、京都で開業し、1897年には大阪に
稲畑染工場を設立し、最新技術を用いた染色加工業に進出。この最新の技術で染めた
海老茶色が大変な人気で、当時の女学校の制服の袴にも採用されたそうです。

海老茶色の袴と言えば、あお吉は、大正浪漫!を思い浮かべます。袴姿⇒ブーツ⇒
髪には大きなリボン⇒『はいからさんが通る』(漫画)と思考がつながっていきます(笑)

明治を起点に新しく海外から入ってきたものは数多くあります。
一方で、それらに取って代わられ消えてしまったもの、価値を変えて現在も息づいているもの、
様々にあります。

染めの技術で言えば、現在、ちょっとしたブームになっている草木染。
この“草木染”という言い方は、合成染料(化学染料)を用いた染色に対して、
天然染料を用いた染色を区別するためにつくり出された呼称で、名づけの親は小説家であり、
草木染めの研究者であった山崎斌という方だそうです。
1930(昭和5)年頃から使われ出しています。
草木染=高価というイメージがしますが、昔はこれが普通だったんですよね。
 
産業の近代化の影に隠れて行った部分に目を向けると、
これからのビジネスに生かせる掘り出し物に出会えるかもしれません。

投稿者 museum | 2012年12月04日 19:38