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2012年10月16日 12:41
上を向いて歩こう
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように♪♪♪♪
それ、ええ歌やな。誰の歌?
坂本九の大ヒット曲や。日本だけでなく世界でもヒットしたんやで。
へー、そうなんや。
けど、おっちゃんが歌うなんて珍しいなー。どしたん?
いやー、今な、大阪企業家ミュージアムで『シャープ100年 創業者・早川徳次~危機を乗り越えつづけた企業家』をやっているんやけど、おっちゃん、あの特別展示の担当やねん。
早川さんやシャープの歴史を調べたりしている間中、この歌がずーと頭の中でリフレインしてな、それがいまだに続いて今日に至るんや。
その歌と早川さんに何か関係があるんか?
なんもない。
ただな、早川さんの生涯とこの歌が、おっちゃんの中では重なるんや。
へー、早川さんてどないな人なん。
ちょっと教えてーな。
本当は、展示を見に来てほしいんやけど、まあ、いいか。
早川さんはな、お生まれからご不幸やったんや。
お母さんが病弱で1歳の時に養子に出されたんや。
最初は優しいご夫婦やったんやけど、4歳の頃に奥さんが亡くなられ、その後にきた奥さんがひどい人でな、随分いじめられたんや。
寒い中、冷水を浴びせられるわ、小学校は1年でやめさせられ、夜遅くまでマッチの箱張りの内職をさせられるわ。
とにかくひどかったそうや。
余りにもひどいということで、近所の盲目の井上さんが早川さんをかざり職人の坂田さんのところに住込み奉公につれていってくれたのが満7歳、数えで8歳やな。
よかったなー
けどな、この親方がえんぴつ製造事業に失敗をし、しかも大やけどを負ったんや。
職人が次々といなくなるなか、早川さんは、縁日に鉛筆を売りにいき親方を支え続けて頑張った。
そして19歳で特許をとったんや。
親方の勧めもあって独立し、シャープペンシルも発明し事業は順風満帆かと思いきや・・・
まだ、なんかあるんか。
関東大震災。
早川さんは事業も奥さんも子どもさんもなくしたんや。
残ったのは借金だけ。その借金を返すために特許も売らざるをえなくなった。
ひどすぎるやないか。
けどな、早川さんはあきらめへんかった。
『廻る独楽は倒れない』と早川さんはいうんや。
あきらめず、これからの時代の変化を考え、まだ日本ではつくられていなかったラジオに挑戦し、国産初のラジオを作り上げたんや。
やったー!
けどな、早川さんの苦難はまだ続くんや。
えーーー
きちんとした証書をつくらなかったばかりに、借金を返した相手が返してもらっていないと訴えたんや。
戦後は、ラジオ会社が乱立し、しかも民間ラジオ放送が始まれば今のラジオでは聞くことが出来ないと風評がたって次々とラジオメーカーは倒産。
早川さんも倒産の危機にあったんや。
その後も円高や不況、などなど何度もの困難な時代を早川さんは乗り越え続けていったんや。
「上を向いて歩こう」がおっちゃんの頭の中でリフレインしたわけがわかったわ。
そやろ。
早川さんはな、こんなに『苦労』しているのに、『苦労』といわへんのや。
『新しい研究テーマ』というんや。
下を向くんやない、上を向いて前へ前へいくんや。
すごいなー。
おっちゃんはな、早川さんが生きていたら、今、日本のみんなにやっぱりこういうと思うんや。
早川さんが残した言葉の一つやけど
『人生には転機も必要である。
大切なことは大なり、小なり訪れる人生の転機に真剣に取り組み、
これをものにすることである。』
日本はいろんな意味で苦しい時代が続いているけどな
苦しくても前向きに「これを転機にするんや」と考える、早川さんの生涯やその言葉は、多くの人に参考になると思うんや。
そうやな。みんなに早川さんの言葉や生涯を知って欲しいな。
そうや。まずはりょく吉、お前からや。
そうと決まれば、大阪企業家ミュージアムへ、はよいくで!
「上を向いて歩こう・・・♪♪♪♪」
おっちゃん、まってーな。
・・・しかし、おっちゃんは音痴やなー。
投稿者 museum | 2012年10月16日 12:41