2011年05月20日 10:11

ものづくり今昔~“電卓戦争の軌跡―シャープとカシオ”を読んで

あお吉です。
桜の季節があっという間に去って、新緑の季節ですね。
この季節、植物の“生命力”と“成長力”を最も強く感じますよね。

「新版 匠の時代Ⅰ」(内橋 克人著、岩波書店)を読まれた方はいらっしゃいますか?
1980年頃、2003年頃にも他の出版社から出されているようなので読まれた方もいらっしゃるかもしれませんね。

 この本で、『電卓戦争の軌跡-シャープとカシオ』を読みました。“独自の発想で勝負し、抜かれたら抜き返す!” これまでの技術の進歩というのは、こうした状況で加速されてきたんだなぁ、と改めて納得がいきました。凄まじい執念すら感じました。

 それまでリレー式(継電器式)計算機で独走し、事務機器の世界を席巻していたカシオがどん底に突き落とされたのは、昭和39(1964)年3月。シャープの世界第1号のオールトランジスタダイオードによる電子式「卓上計算機」が誕生した瞬間です。開発したのは、若手中心の研究グループ。このグループは、若手社員達が会社への危機感を役員にぶつけたのをきっかけに、シャープが速効で作った「技術の流れを見通した上での研究体制」のひとつ。立ち上げから4年目の成果でした。
若い力の結集もさることながら、下からの声に柔軟に対応した会社の風土も素晴らしいですよね。「電卓」という呼び名もこの時に生まれたそうです。

 さて、この時から繰り広げられた開発競争。
 カシオは1年半後に電子式計算機を開発。昭和41(1966)年には、機能・価格競争抜群の輸出用電卓「カシオ101型」で海外へ拠点を広げて行きます。凄いですよね。これまでのリレー式計算機が生産中止にまで追い込まれてからの巻き返しですから。カシオはこの後、間髪入れずに“脱オフィス電卓”に向かい、昭和47(1972)年8月には、6ケタの「カシオミニ」を1万2千800円で発売。たちまちカシオミニ旋風を巻き起こします。

 一方、シャープは独自路線で電卓の理想を追求。より革新的な電卓づくりに挑戦し、昭和48(1973)年4月に、世界初の液晶・薄型電卓である「エルシーメイト」を2万6千800円で発売。その2年後には薄さ9ミリの手帳タイプ電卓9千9百円。価格の変化も凄いですよ。世界第1号のシャープ電卓の昭和39(1964)年発売当初価格は53万5千円だったのですから。因みに、重さは25kgで大型のタイプライター並みの大きさでした。昭和52(1977)年には、薄さ5ミリ、手帳サイズ、タッチキー式カード電卓を誕生させ、昭和53(1978)年にカシオが名刺サイズ、薄さ3.9ミリを発売します。

 各企業、独自の発想で競争したからこそ、10数年間で、トランジスタ ⇒ IC ⇒ LSI ⇒ 液晶 と、まさに、著者の内橋氏のおっしゃる「現場の技能が技術を進め、鍛えられた技術が科学を進める日本特有の逆順路」でエレクトロニクス技術の実用化が次々と進んだのですね。(http://www.sharp.co.jp/corporate/info/history/only_one/jouhou_t/index.html
 
 5月15日の朝日新聞で、シャープ会長の町田氏が『日本の技術力と「和(すり合わせ)の力」なら、環境に配慮したエコシティや省エネ型のエコハウスが実現できる。世界の人が暮らしてみたいと思う街や家をつくれば、それが新たなメード・イン・ジャパンになり、被災地の新たな産業にもなる。』と書いておられました。

 各企業の独創的な技術力がうまくすり合わせられることで、被災地の復興が1日でも早く進みますよう祈るばかりです。

 大阪企業家ミュージアムでは、常設の105人の企業家のお一人として、シャープの創業者・早川徳次さんをご紹介しています。世界第1号のシャープ電卓も展示しています。是非ご来館ください。

電卓の歴史等詳しく知りたい方はこちらをどうぞ↓
・『新版 匠の時代1』(内橋克人著、岩波書店)
・シャープのオンリーワン・ヒストリー
http://www.sharp.co.jp/corporate/info/history/only_one/jouhou_t/index.html
・カシオの社史⇒http://www.casio.co.jp/company/history/
・『コミック版 プロジェクトX-液晶 執念の対決』(NHKプロジェクトX製作班、宙出版)

投稿者 museum | 2011年05月20日 10:11