2011年04月07日 13:23

不屈の精神 シャープ創業者 早川徳次 ~ 彼は、関東大震災で全てを失った

りょく吉です。
ブログの更新が滞り、申し訳ありませんでした。

今日は、お一人の企業家をご紹介したく思います。
お名前は、シャープ創業者 早川 徳次 氏。

彼は、何度も何度も不幸に打ちのめされます。
しかし、そのたびに立ち上がりより大きく羽ばたいていきます。

母親が病気がちだったことから養子に出された早川氏。
そこでは、継母にいじめられます。
見かねた近所の方が勧めたのが住み込み奉公。
8歳からかざり職人として働き始めます。仕事は大変でしたがつらくはありませんでした。

しかし、また不運が早川徳次を襲います。
親方が事業に失敗しただけでなく大やけどを負います。
職人は次々に去っていきます。
早川徳次は倒れた親方を支え、15歳の自分でできる商売を自ら考え実行をします。

親方も回復し、自ら発明したベルトに穴のいらない「徳尾錠」の成功で独立をします。
結婚をし、シャープペンシルを発明します。
会社は発展を続け、従業員も100名を超えます。

しかし、またも不幸が襲います。
関東大震災。
彼は、全てを失います。会社も奥様もお子様も失います。
残ったものは、ただ借金だけでした。

tokuzi.jpg

しかも、その借金を「すぐ返せ」と催促が続きます。
早川徳次は、借金の返済のため、今まで培ったシャープペンシルの事業を譲り渡します。
もう何も残っていません。

しかし、彼はそれでもあきらめません。大阪に移り、また新たな挑戦をはじめます。
ラジオ放送が始まるときいた早川徳次はラジオの製造に着手し国産ラジオ第一号を世に送り出します。真空管ラジオの開発、海外への進出と発展を続けて行きます。

だが、そこに待ち受けていたのは、またもや不幸でした。
第二次世界大戦、そして敗戦。
製品を作ろうにも物資が不足し、部品も手に入りません。
誰もが苦しい時代、製品も売れませんでした。
倒産の危機もありました。
しかし、早川徳次はあきらめず、先見性をもって事業に邁進します。
テレビです。
テレビの可能性を信じ、まだまだ高額で、テレビといえば大型の街頭テレビが主流の時代に「一家に一台のテレビの時代」を信じ、家庭用14型のテレビに力を注いでいきます。
そしてテレビで大躍進を果たし総合家電メーカーとしての地位を確立していきます。

「早く始めることが商売のコツ」
「新しいもの作りを通して人に喜ばれる」

早川徳氏は、何度もの不幸に襲われます。しかし、先見性をもち、あきらめず、次々に新たな挑戦を続け成功を得ます。

今、東日本大震災では、多くの企業家が様々なものを失い、多くの困難に直面されていることと思います。
このお話が、何かの参考となれば幸いです。

なお、大阪企業家ミュージアムでは早川徳次の企業家人生を紹介した漫画冊子を一昨年シャープ株式会社、株式会社漫画家学会のご協力のもと作成をいたしました。
今、この漫画は、シャープのサイトで公開もされています。
http://www.sharp.co.jp/corporate/info/history/voice/index.html

また、早川様の音声も公開されています

まねされる商品をつくれ

あわせて、こちらもご覧いただければ幸いです。

投稿者 museum | 2011年04月07日 13:23