2008年05月21日 09:10

石原裕次郎の傑作映画「黒部の太陽」がよみがえる!

富山県の黒部ダム建設の様子を描いた、石原裕次郎の傑作映画「黒部の太陽」が、中村獅童主演でふっかぁーつ!!

10月5日(日)から26日(日)まで、梅田芸術劇場メインホールで舞台としてよみがえります。関電トンネル開通50周年、映画化40周年を記念しての舞台化。ちなみに、映画「黒部の太陽」は石原裕次郎の意思により、これまでビデオ、DVD化されていない幻の名作だそうです。

黒部ダムは、戦後、わが国が高度経済成長期を迎え、電力需給が逼迫した折に、関西電力の初代社長・太田垣士郎氏がゴーサインを出したもので、昭和31年に建設がスタートしました。関西電力の社運をかけた一世一代の大規模プロジェクトで、総工費は513億円。当時の関西電力の資本金の5倍という金額でした。工事従事者は延べ1000万人を超え、工事期間中の転落や交通事故等により171人の犠牲者があったといわれ、いかに困難を極めたかがうかがえます。


とくに建設資材等を運搬するため、ダム予定地までをつなぐ大町トンネル(現・関電トンネル)の掘削工事では、途中、破砕帯に遭遇し、大量の泥流が噴出。現場に急行した太田垣社長は、危険も顧みずトンネルに入り、悪戦苦闘する工事関係者一人一人をねぎらったといいます。

太田垣士郎氏は、大阪企業家ミュージアムの展示企業家の一人で、あか吉の好きな企業家でもあります。黒部川電気記念館に行くと、「経営者が十割の自信をもって取りかかる事業、そんなものは仕事のうちには入らない。七割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する。それでなければ本当の事業はやれるものじゃない・・・」と、昭和30年秋、人跡未踏の秘境に黒部第四発電所(黒四)の建設を決断した彼の言葉が残っています。

あか吉

投稿者 museum | 2008年05月21日 09:10