2008年05月28日 09:22

大阪大学総合学術博物館

2代目りょく吉、初めて大阪大学総合学術博物館へ行ってまいりました。

場所は、阪急は石橋から徒歩10分程度。
石橋は、四半世紀前に友達が住んでいたこともあって、よく遊びにきたところです。駅前の商店街もまだまだ元気で昔の面影を残すところも多かったですが、さずがに友人の住んでいた当時ですらぼろかったアパートはもうみあたりませんでした。

さてさて、感慨にふけりながら歩いていけば、喧騒から外れた緑の校内に博物館はありました。

今回の目的は、第8回企画展「東洋のマンチェスター」から「大大阪」へ -経済でたどる近代大阪のあゆみ-

明治以降、全国一の工業都市として「大大阪」を名乗り発展をとげていった活気ある大阪のまちが紹介されています。

大阪紡績会社(現・東洋紡)三軒家工場の俯瞰図(ふかんず)や当時の地図、昔の長者番付などがパネルで紹介されているほか、企業の広告ポスターが多数展示されています。このポスターをみているだけでも楽しいですが、一番印象的だったのは、大阪市内に煙突が立ち並び煙をたなびかせている写真でした。1920年代の写真のようですが、長屋が並ぶ背後に何本も何本もの煙突がならび煙を吐き出しています。
煙の都と称されたのがよくわかる写真でした。

そういえば30年以上前の小学生の頃に授業で、21世紀を想像して絵を描いたことがありますが、松本零士が描くような緑のない無機質なまちを理想的な未来都市として誰もが描いていたような気がします。

近年では、環境問題への意識も高まり、以前のような無機質な都市になることが未来の理想とされることはなくなり自然との共生が声高にいわれています。
また、森の中で暮らすことは、人間の免疫向上にも効果的という話もききます。
博物館の1階は喫茶にもなっており、開館までの時間をここでのんびり過ごしましたが、確かに街中のオープンカフェの椅子に座っているのとは気持ちの落ち着きが違います。

博物館の3階、常設展示「待兼山に学ぶ」では、阪大豊中キャンパスが位置する待兼山の古代の生物や、地形の変遷から、現在の豊かな自然の中で棲息する生き物の営みまで、地域に根ざしその変化を解明する研究が紹介されています。50万年ほど前の地層から化石が見つかった推定全長約7メートルの巨大ワニ(マチカネワニ)のレプリカは圧巻です。

企画展は7月5日まで。10時~16時30分(日、祝は休館)、入場は無料。問合先:06-6850-6284

りょく吉

投稿者 museum | 09:22

2008年05月21日 09:10

石原裕次郎の傑作映画「黒部の太陽」がよみがえる!

富山県の黒部ダム建設の様子を描いた、石原裕次郎の傑作映画「黒部の太陽」が、中村獅童主演でふっかぁーつ!!

10月5日(日)から26日(日)まで、梅田芸術劇場メインホールで舞台としてよみがえります。関電トンネル開通50周年、映画化40周年を記念しての舞台化。ちなみに、映画「黒部の太陽」は石原裕次郎の意思により、これまでビデオ、DVD化されていない幻の名作だそうです。

黒部ダムは、戦後、わが国が高度経済成長期を迎え、電力需給が逼迫した折に、関西電力の初代社長・太田垣士郎氏がゴーサインを出したもので、昭和31年に建設がスタートしました。関西電力の社運をかけた一世一代の大規模プロジェクトで、総工費は513億円。当時の関西電力の資本金の5倍という金額でした。工事従事者は延べ1000万人を超え、工事期間中の転落や交通事故等により171人の犠牲者があったといわれ、いかに困難を極めたかがうかがえます。


とくに建設資材等を運搬するため、ダム予定地までをつなぐ大町トンネル(現・関電トンネル)の掘削工事では、途中、破砕帯に遭遇し、大量の泥流が噴出。現場に急行した太田垣社長は、危険も顧みずトンネルに入り、悪戦苦闘する工事関係者一人一人をねぎらったといいます。

太田垣士郎氏は、大阪企業家ミュージアムの展示企業家の一人で、あか吉の好きな企業家でもあります。黒部川電気記念館に行くと、「経営者が十割の自信をもって取りかかる事業、そんなものは仕事のうちには入らない。七割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する。それでなければ本当の事業はやれるものじゃない・・・」と、昭和30年秋、人跡未踏の秘境に黒部第四発電所(黒四)の建設を決断した彼の言葉が残っています。

あか吉

投稿者 museum | 09:10

2008年05月13日 19:43

2代目りょく吉は、病弱

先般、脳みそのMRIを受けたりょく吉。

今度は職場の健康診断で不整脈でひっかかり、24時間フォルダー(胸につけて1日中心臓の様子を検査する装置)をぶらさげて丸一日生活しました。
胸に機械を貼り付けているシートがかゆくてしかたがなかったのですが、昔はもっと弁当箱のように大きくてベルトにぶらさげる形だったそうです。

弁当箱といえば、初めて街中でみた携帯電話は、まさにそのような大きさで1988年頃、ショルダーフォンといって肩からかけているものでした。

三宮の街中を持ち歩いている人を見ながら、ご苦労なことだと思ったのを覚えています。
それから20年、今は公衆電話を見かけることが少なくなり、電車の中で携帯電話とにらめっこをされる方が増えています。

様々な機械、技術はどんどん進歩しています。
医療器械では、ノーベル賞をとられた島津製作所の田中耕一フェローが、「血液1滴から様々な病気を分析出来る技術」を後5年待って、という記事もありました。

古い資料もインターネットを利用することで簡単に閲覧できるようになってきています。
例えば、

国立国会図書館の近代デジタルライブラリー

写真の中の明治・大正

などなど。

とはいえ、社史や伝記などは、まだまだ書籍が主流です。

大阪企業家ミュージアムでは社史・伝記5000冊を所蔵するほか、安藤百福さん、石橋信夫さん、稲盛和夫さんなど21名のインタビュービデオも常時閲覧可能になっています。

温故知新。

たまには、ゆっくりと過去の企業家の方の行動を振返ってみてはいかがでしょうか。
大阪企業家ミュージアムでは水曜日のみ午後8時(午後7時30分最終受付)まで開館しています。

りょく吉

投稿者 museum | 19:43

2008年05月07日 11:34

大阪の難読地名

初めて大阪に来られた方とお話しすると、「大阪の地名は難しい読み方が多いですね~」とよく言われます。

確かに、思いつくだけでも、
道修町、立売堀、杭全、茨田、放出、御幣島、柴島、遠里小野・・・
大阪生まれの大阪育ちのあお吉でも「なんて読むんかな?」と悩んでしまう地名の多いこと、多いこと。

大阪が初めての方にとっては、枚方・交野・吹田・箕面といった市の読み方も、
「難しい」
とのことでした。

この春、大阪に赴任された方は、この1か月、言葉の違いや文化の違いなどに驚かれたり、戸惑われたりされているのではないでしょうか。

大阪企業家ミュージアムでは、大阪に赴任された方を対象に見学会を開催いたします!
大阪発祥の企業の歴史を学んでいただくことができる恒例の見学会。
過去にご参加いただいた皆様からは「初めての関西赴任で不安だったが、大阪の産業・企業の歴史が90分でよく解った」とご好評をいただいております。

「大阪勤務は長いが、あらためてもう一度勉強してみたい」という方も大歓迎です。

皆様のご来館をお待ちしております♪

あお吉

投稿者 museum | 11:34

2008年05月01日 10:12

第2回ナイトミュージアム特別見学会、5月14日(水)開催!

最近、目覚まし時計を買いました。鳥の鳴き声(3つのパターンがあります)で起こしてくれるもので、今朝はウグイスの声で目覚めました。あまりにソフトな起こし方なので、いつか遅刻するのではないかと不安なあか吉です。

さて、ゴールデンウィークに突入し、春真っ盛り!

清少納言は「春はあけぼの」といいますが、あか吉的には蘇軾の「春宵一刻値千金」(「花は香り、月はおぼろな春の夜の一時は、まことに趣が深く、千金にも換えがたい」の意)に一票。春は夜が一番ではないかと思っています。

その春の宵を知的に文化的に過ごしましょうということで、大阪企業家ミュージアムでは5月14日(水)の午後7時から第2回目の「ナイトミュージアム特別見学会」を開きます。第1回目は、去る4月16日(水)に20人を超える参加者を集めて開催。その様子が「大阪ナイトカルチャー」のHPの4月18日付のブログで紹介されていますので、是非、ご一読ください(5月14日(水)の第2回目も、内容的には第1回目と変わりません)。

ブログを読んで興味を持った方、大阪の企業家や歴史についてちょこっと知識を深めてみたい方などなど、5月14日(水)分はまだまだ空きがあります。是非、ご参加ください。
皆様方からのお申込み、心からお待ちいたしておりまーす!

あか吉

投稿者 museum | 10:12