㈱柴田書店『月刊ホテル旅館』寄稿コラム 2014年2月号より
  • 第十二回 政治と国境を越えるおもてなし
  •  「2、3月に予定通りの美食ツアーと医療ツアーを実施します」 新年早々に中国から連絡がありました。昨年9月頃から途絶えていた中国からの訪日が戻りつつあって、やれやれと皆安堵していたのに、安倍総理の靖国参拝でまた反日の動きが始まるのか、と憂慮しておりましたところに朗報です。ツーリズムの業界も政治に影響されておりますが、もう、いい加減にしてほしいと思っているのは、どうやら日本だけではないようです。国境を越える力を持っているのがツーリズム。そういえるかもしれません。そうだとすれば、日本の場合、その力の素の第一が和食だと私は思っています。昨年、和食がユネスコの世界無形文化遺産に認定されました。和食というと、すぐ京料理をイメージする人が多いと思います。さにあらず。京都の専売特許にあらずです。和食は日本列島のすみずみに息づいております。
  •  鳥取県は岩美町。ここには名物のへシコがあります。松葉ガニもあります。こういうと、福井にもへシコやズワイガニ、いや越前ガニがありますよ、と福井ファンからお小言をちょうだいしそうですが、鳥取ファンであり福井ファンでもある私に分け隔てはありません。加えて自称グルメです。へシコもズワイガニもご当地によって微妙な味の違いがあって、それを楽しんでおります。目下、興味津々なのは和歌山の和食。近隣府県とはまた異なる食材(たとえばクエ)、出汁の違いを発見し、私は探究心をそそられております。このように、狭い関西ですが、ローカルに根付いた食は多彩です。また、生き生きと受け継がれて発達してきた食の楽しみ方は、ローカルの文化であり、これらを総称して和食といいたいものであります。そして、政治の世界の困難を乗り越える力が和食にあるからこそ、中国の美食家達は関西にやって来るのです。今回は和歌山、大阪、鳥取のグルメツアーとなりますが、厳寒ではありながらも春の足音がする微妙な季節の繊細な味を堪能していただけることでしょう。これこそが、「おもてなし」の真髄ではないでしょうか。
  •  その時、その場所でしか味わえない商品、サービスを、冷え込んだ国交の困難な局面の中で提供する。TPOの要素を揃えた、これ以上の「おもてなし」はないのではないでしょうか。しかも、人情豊かなローカルの人達の接遇によりますから、真情あふれた最高の「おもてなし」となることでしょう。滝川クリステル氏によって「おもてなし」は「お・も・て・な・し」となり、何やら格別の意味を与えられたように思われますが、その後深く考察するまでに至っていないのは残念です。ここで私たち、ホテル・旅館の運営に携わる者は、6年後開催のオリンピックを念頭に「お・も・て・な・し」の意味や意義について考えたいものです。名称は「東京オリンピック」ですが、「日本オリンピック」と認識すべきです。成熟国家日本には、素朴な人達に守られ、成熟した文化が各地に息づいていることを世界に知ってもらうことに、オリンピック開催の意義を見出したいのです。
  •  ローカルにこそ、「お・も・て・な・し」の真髄が残っていると私は考えます。モノづくりを優先させてきた日本は、今「観光立国日本」への一歩を踏み出したばかり。外客受け入れの上で、道案内の外国語表記、交通のネットワークの利便性を強調したお得な割引などは観光後進国として基本ですが、基本中の基本となる「おもてなし」こそ追い求めたいものです。そういうと、真っ先に取り組みそうなことは、マニュアル通りの慇懃な作法の徹底化でしょう。しかしそこで得られるものは、人工的で形だけの礼儀作法の接遇です。それと対照的に、無愛想に見えて実は真心あふれる接遇こそ、マニュアルを超えた人情の機微に触れた接遇であり、本物です。
  •  19世紀のアメリカの詩人、ホイットマンは、日米修好通商条約批准のためやって来た江戸幕府の一行がニューヨークのブロードウェイを行進する姿を見て感動し、「ブロードウェイの華麗な行列」と題する詩を書きました。初めて見る、背筋を伸ばし毅然とした礼儀正しいサムライの佇まいは、腰に刀、丁髷の、ある意味では野蛮な姿とは裏腹に威風堂々たる気品が漂い、ホイットマンは東洋の紳士の姿を見出したのでした。当時の日本の文化水準は世界の中でも非常に高く、サムライの背筋、毅然、礼儀、佇まいは形の美ではありますが、内面からにじみ出る教養、文化のなせる技であったということでしょう。意思疎通のツールである言語による理解よりも、文化の力は国境を超えて人と人とを結び付けるものであります。日本のローカルには、まだまだローカルに特有な文化が色濃く残っています。そして、それを支えている人がいます。政治では国境を閉ざされてはいますが、この2月、3月に中国から鳥取、和歌山、大阪を訪問するのはまさに和食という日本の文化の力によるものです。
  •  滝川クリステル氏が世界に印象付けた「お・も・て・な・し」によって、オリンピックはスポーツの祭典を超えた次元になりました。オリンピックと文化、東京とローカルについて考察することで、「お・も・て・な・し」を本物にしたいものです。そのためには、語学力を身に付ける前に、私たち自身が自国の文化を語れる日本人になることです。ご参考までに申し上げますが、ロンドンオリンピック開催中にはあちこちのローカルで文化催事が催されたそうです。その数は約1万2000件。私の大好きなエジンバラでももちろんです。ロンドンとエジンバラは空路で1時間半。東京から同距離だと、沖縄もうかがい、日本列島全域を包み込みます。ロンドン同様、日本でも全国津々浦々、各地の文化を披露できるはずです。東京オリンピックは、日本オリンピックというにふさわしいではありませんか。主たる会場となる東京も、個性あるローカルが眠っています。その掘り起こしが問われているように思います。

((株)柴田書店出版の『月刊ホテル旅館』に2014年2月号より掲載開始。)