㈱柴田書店『月刊ホテル旅館』寄稿コラム 2013年10月号より
  •  第8回 秋は夕暮れ、多様なニッポン
  •  新芽、若葉の春に対して、紅葉の秋は何か物悲しく、メランコリーな気分になりがちです。かつて、大阪府枚方市にある遊園地では場面数で30以上、大がかりな場面転換のある段返しで有名な大菊人形展が開催されていました。マスコミは「関西に秋を告げるひらかたの大菊人形!」とカラー写真で報道していました。菊花に彩られた200体近くの菊人形は実に豪華絢爛華でしたが、入場制限をするほどだった見物客が引いた後の館内は静まり返っていて、そのかわりに菊の香りが充満して妙な物悲しさが漂っていました。秋になると必ず私はそれを思いだし、少年の頃、徒競走やリレーでヒーローだった運動会の猛々しい記憶は覆い隠されてしまいます。スポーツの秋といわれるのに、秋は物悲しい。菊は香草。げに、薫りは効き目抜群です。まさに、秋は薫り。だし汁で洗練された風味を引き出す大阪は、秋こそ、本番です。清少納言の枕草子の有名な第一段では、「秋は夕暮れ」ですが、空気が澄んでいることもあるからでしょうか、食欲をそそるだし汁の香が夕暮れの大阪の街中に漂っていて、つい香りに誘われてうどん屋に入りたくなります。鍋焼きには熱燗。秋の夜はメランコリックな気持ちを通り越して、友と語り合う温かみのあるひと時に変わります。
  •  「大阪はどの店に入っても、当たりはずれがない」--東京から大阪に赴任してきた人は必ず感心します。当たりはずれのないのは、だし汁にこだわっているからだと思います。だし汁の文化は高級料亭から下町の食堂にまで行き届いています。大阪名物のひとつ、たこ焼きもだし汁が味を引き立てています。大阪人が「粉もん」とたこ焼きやお好み焼きを自己卑下するのは、だし汁にこだわった自信の裏返しです。そのだし汁を支えているのは北海道産の昆布です。江戸時代、天下の台所と言われた大阪には諸国の物産が集まりましたが、北前船で北海道から運ばれてきたのが昆布。その昆布を加工したり、料理の味を引き立てるだしに利用しました。今も、大阪ほど昆布屋さんが多い都市はないと思いますが、昆布を加工するには鋭利な刃物が必要です。その刃物は堺の特産です。北海道の昆布が大阪に運ばれ、堺の刃物でとろろ昆布、おぼろ昆布、塩昆布などおなじみの商品に生まれ変わり、私たちの食卓にあると思うと、ご先祖さまの知恵の結集に感心してしまいます。そして、料理に昆布だし。これはもう、誰が見つけ出したか知りませんが、世紀の大発見です。主役は料理人と食材です、とあくまで控え目。上品な上方料理を支える裏方の役目に徹している物言わぬ脇役に、思わず頭が下がります。
  •  秋は夕暮れ。清少納言は枕草子にそう書きました。烏、雁と視覚、虫や風の音の聴覚について書いていますが、残念ながら嗅覚、味覚については触れておりません。平安時代の夕餉はどうだったんだろう。平安文化は華やかだったと教わったが、食文化は発達しなかったのだろうか。そう疑問を抱いたところで、中学生の秋、バスケットの練習を済ませて帰宅した時の味噌汁の匂いが懐かしく蘇ってまいりました。今もおふくろはイリコで味噌汁をつくっておりますから、だしはイリコだったのでしょう。九州はイリコ文化圏と決めつけたいところですが、この夏、訪問した長崎で食したうどんは、あごだしでした。狭い日本列島ですが、郷土色の多彩さに驚いてしまいます。
  •  「日本料理といえば京料理です」--ある日、京都の知人がそう言いました。確かに、お座敷での洗練された食の提供は京都という舞台を得て輝きを増すこと、まちがいありません。でも「日本料理といえば京料理」と言われると、ちょっと異議を唱えたくなります。滋賀にも日本料理があります。奈良にもあります。和歌山も鳥取にも、福井にも日本料理があります。郷土には郷土で育まれてきた伝統的な料理がイキイキと残っております。昆布、イリコ、アゴなどご当地ならではのだし汁を大切にする料理がある以上は、日本には日本料理が多種多様ということになります。私たちは近畿2府4県を十把一絡げにして、関西は古くから歴史が開け名所旧跡が多い、とPR・宣伝するのが常套なのですが、人の営みの長い歴史の中から生まれた料理にも注意を払い、各地の料理の繊細な味は独自の文化であることに気付くべきです。国際観光都市である京都はそのことに気付いて、京料理をアピールしているといえましょう。
  •  数年前から中国の料理界の人たちを石川県、鳥取県にご案内しておりますが、こんな料理が日本にありましたか、と感動の面持ちです。日本海側ルートには、太平洋側にない海の幸、山の幸があります。独特の発酵技術による食物もあり、太平洋側ルートのお仕着せの観光では体験できない感動をいつも味わっておられます。旅の大きな楽しみのひとつは、旅先の料理です。和歌山も滋賀も奈良も、また福井も、わがご当地料理が日本料理です、と自己主張して世界の国々を引きつけるようになれば、関西は今まで以上に輝きを増すことでしょう。「わが県に来ていただいた訪日観光客を大阪や京都、そして関東にもご案内しましょう」。それくらいの気位を持ってかかってもおかしくない食文化が各地にはあります。観光の振興はお仕着せツアーに頼らず、手づくりで自らの強みを見つけることから始めましょう。秋は夕暮れ。鍋料理が恋しい頃です。訪れる観光地では、鍋の食材を引き立てるポン酢もご当地により、スダチ、カボス、梨、ダイダイなど実に多種多彩です。京都のように、日本料理といえばわが郷土料理のことです、と自信をもってアピールしたいものです。

((株)柴田書店出版の『月刊ホテル旅館』に2013年10月号より掲載開始。)