佐藤会頭の眼~会員企業と共に歩む(寄稿文) その5
Chairman’s Eye with you

その5<新分野、異業種への挑戦>
2011年12月会員交流大会で活力グランプリの表彰状を授与CIMG0733.JPG「2011年12月平成23年度会員交流大会で大阪活力グランプリ受賞企業を表彰」
○会員企業の個別訪問では、その都度感銘を受けたことも多かった。その5以降は、これらの視察や懇談を通じて印象に残ったことや感想を述べたい。訪問先中心のコラムになるがどうかお許し願いたい。

○これまでのビジネスと全く異なる分野に挑戦する会員企業にも出会えた。その一つが㈱マルイ(大東市)だ。従来、同社のコアビジネスは、コンクリートや金属などの材料試験機器や高温・熱風、低温・除湿、真空下における環境試験機器の製造販売など。代表取締役の圓井健敏氏は、本会議所が運営する次世代医療システム産業化フォーラムに立ち上げから参加。独力で医療機器分野への参入に向けて勉強を続け、大阪大学医学部付属病院の協力を得て「採血・注射練習用の人工腕」を開発。製品化にこぎつけた。人体に限りなく近い素材を活用し、針を刺す時の抵抗感などもリアルに再現。実寸大の人工腕を研修用に提供している。今後の新たな製品開発が楽しみだ。医療機器開発は製品化までに時間がかかりすぎるのが難点。本会議所では、許認可の権限機関を大阪に設置してもらえるよう関係者への働きかけを進めている。その折には自ら要望書を持参するつもりだ。

      訪問記録 2011年1月11日 マルイ

○丸紅(大阪支社:中央区)は、機能化学品部が新規事業として大阪支社ビル地下に植物工場を立ち上げた。この植物工場の特長は保水力のある人工土壌と人工光による促成栽培。そのため、他社の進める水耕栽培方式とは異なり、多品種の作物を安定的に大量栽培することが可能だ。機能化学品部では、奈良県内で大型植物工場を展開する企業に協力。人工土壌方式の植物工場を商用化させる努力を続ける一方、なにわ伝統野菜の栽培にも取り組み、地域に貢献していきたいとのことであった。また視察時に発見したのは工場内を飛び交う蜂。イチゴ栽培で受粉に役立つように飛ばしているとのこと。訪問当日は取れたての野菜を試食しながら、今後のビジネス展開につき家永豊執行役員・大阪支社長からお話を伺い、商社ビジネスの懐の深さと地道な取り組みを再認識する貴重な機会となった。

      訪問記録 2011年4月7日 丸紅大阪支社

○E・C・R(中央区)の小笠原通晴社長もユニークだ。同社は小笠原社長が1986年7月に創業。携帯電話やスマートフォンの基地局建設・改修などを中心に業容を拡大。新規ビジネスとして大阪の泉南で貸農園プロジェクトを立ち上げ、IT技術と農業の融合化への取り組みを始めている。「起業に失敗しても再挑戦する人に支援できる体制を作ってほしい」という小笠原社長の言葉が耳に残っている。苦労して成功を得た経営者ならではの真実味があった。

      訪問記録 2011年8月25日 E・C・R

○日立造船(住之江区)や塩野義製薬(中央区)の新規ビジネスへの取り組みについても詳しくお聞きする機会を頂戴した。古川実社長(大商副会頭)、手代木功社長(大商副会頭)は、共に大阪から本拠を移すことはあり得ないと強調。大阪に経営資源を重点配分し、新規事業にチャレンジを続ける経営姿勢は本当に心強い限りだ。

○日立造船は、1881年に日本に定住した英国人のE.H.ハンター氏によって創業された大阪鉄工所がルーツ。大阪市内の橋梁建設を多数手がけるなど縁の深い会社だ。同社は2002年に既存の造船ビジネスを切り離して業種転換に成功。古川社長がお話される際の講演テーマも「陸(おか)に上がった日立造船」だ。先の訪問では、衛生的かつ効率的に都市ゴミを燃やして排熱を利用するゴミ焼却炉施設(大阪市環境局東淀工場)を見学。東日本大震災のがれき処理のみならず、環境規制が厳しくなる海外各国でも需要が高まる設備だ。このほか新規ビジネスに取り組む築港工場を視察。海底設置型フラップゲート式防波堤やGPS波浪計など、今後期待できるビジネスシーズを大切に育てておられると見た。環境・省エネ保全に資する「グリーンビジネス」をコアに据える見事な舵取りは、古川社長の手腕によるところが大きい。創業者のE.H.ハンター氏は大阪企業家ミュージアムで紹介する企業家105名のなかで唯一の外国人。わが国造船技術の向上に多大な貢献をした。

     訪問記録 2012年1月30日 日立造船

○塩野義製薬は、創業者の塩野義三郎氏が、1878年(明治11年)3月、道修町で薬種問屋を開いたのが始まり。何と大阪商工会議所の設立と同じ年に誕生した会社だ。現在の手代木功社長は、2008年4月の就任で創業家以外では初めての生え抜きの方。その手代木社長の案内で50年振りに新設された医薬研究センター(豊中市)を視察する機会を得た。同施設では、国内数カ所に分散していた研究所を1ヶ所に集約。研究者が相互にアイデアを引き出し合える開発環境を整備し、創薬ビジネスにスピード感を持って取り組んでいるとのこと。長期的な視野に基づく緻密な戦略に驚かされた。新薬開発に向けたM&A、さらには中国市場への展開が今後の成長への鍵になると手代木社長の挑戦は意欲的だ。先の東日本大震災では岩手県金ヶ崎工場が被害を受けたが、患者に必要な薬を切らしてはならないと陣頭指揮で乗り切ったとのこと。SHIONOGIには「SONG」があると、音楽番組「ミュージックフェア」も長年継続してスポンサー提供。創業家の想いを受け継ぎつつ大胆な進化を目指すバランス感覚に優れた方だ。創業者の塩野義三郎氏は大阪企業家ミュージアムで紹介する企業家の一人。産学共同で新薬開発し、直接ユーザーに訴える手法で販路開拓した。

     訪問記録 2012年2月6日 塩野義製薬

2012年4月エンジニア・高崎社長と同社で記念撮影CIMG1411.JPG「2012年4月 エンジニアを訪問し高崎社長と懇談」
○船場で衣料卸売問屋として発展を遂げてきたセルフ大西(中央区)の代表を務める大西隆氏は、インターグループの小谷泰造氏などと協働し、船場げんきの会で様々な新規事業に取り組んでいる。地域活性化に向けた新たな取り組みの一つが、船場ロボット・ファッションコンテストの企画。様々なコスチュームを纏った人型ロボットがステージ上でパフォーマンスを披露。審査員は、ファッション(衣装やアクセサリーなど)、ロボット本体の特徴、機能、ショーの演出(BGM、動き) などで審査。多くの若者の支持を得て2012年も10月14日に南御堂で開催。お二方にとってロボット関連の事業は全く畑違いの分野ともいえるが、経営者に必要な先見の明を発揮しているということだろう。地域貢献を通じて、新たなビジネスチャンスを創出しようとする姿勢は我々のお手本だ。大西隆氏も大商副会頭など要職を歴任。父親でセルフ大西創業者の大西新平翁は大阪企業家ミュージアムで紹介する企業家の一人。セルフ販売方式で「船場」に革命を起こした。

    訪問記録 2011年4月7日 大西