佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2015年8月4日(火) 大阪市立大学杉本キャンパス 高原記念館1階 学友ホール

「大阪の産業発展と産業振興のあり方について
        ~ともに千客万来都市OSAKAをつくろう~」

 始めに私の略歴ですが、この辺は面白いと思いますので、少しお話しさせていただきます。

 私は2003年5月から長い間、関西経済同友会の「水都・大阪」推進委員会共同委員長をやりました。私は大学時代ボートの選手で水に親しんでおり、いかに水辺空間、親水空間を作り上げるかがライフワークになっています。ボートの経験から自信をもってライフワークとしている訳です。本学も大川に艇庫があり、当社にもボート部の元主将がおりますが、ボートを漕いでおりますとシンドイだけではなく、五感に優しいんですね。風とか匂いとか五感に優しく、それが第六感を目覚めさせるというのが私の信念です。それで水辺空間を創り上げることの意義を見出し、大学卒業以来ずっと取り組んできているのですが、同友会の中でお役目をいただいて活動の舞台が広がり、いっそう力を入れてきました。

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 その一番代表的な事例が、私が社長時代に着工した中之島新線です。今の天満橋のシティモは元松坂屋で、その松坂屋さんが撤退することになり、ビルの権利を譲り受けて京阪100パーセントのビルになったのですが、松坂屋さんの駐車場の所から地下で土佐堀川を潜り中之島に渡る中之島新線が完成した暁に元の駐車場に戻しては芸がない、八軒屋浜復元させよう、となりました。

八軒屋浜、ここはかつて大阪の水陸の拠点でした。江戸期、京都・伏見と大坂・八軒屋浜とを三十石船が往復していましたし、平安、鎌倉時代には上皇の熊野詣の上陸地点でした。その八軒屋浜を中之島新線建設のまたとない機会に再現しようと考え、取り組んでまいったのですが、実際に完成すると大阪水上バスだけでなく、いろいろな船がここに集まるようになり、現在の水都大阪の突破口になった、と私は思っております。