佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2015年7月6日(月) 大阪大学豊中キャンパス

「ひらパーから関西を考える」

 さて京阪電車は戦後の荒廃、阪急から分離独立の苦難の道を歩んできましたが、高度成長経済の時代を迎えてビジネス街の中心である淀屋橋まで路線を延長させることを決意します。身の丈を超える投資額でしたが、昭和38年、それまで天満橋だった大阪方のターミナルから淀屋橋までの延長線が竣工します。それは創立者渋沢栄一の宿願でした。

 渋沢栄一は京阪電車の起点を当時大阪の中心だった北浜にしたかったのですが、民の市内乗り入れは許されなく、止むを得ず天満橋としたのでした。

「先覚之志茲に成る」
P008_s1.jpg 北浜を通り越し淀屋橋まで延長させた村岡四郎社長は扁額にそう揮毫しました。先覚とは渋沢栄一のことです。渋沢栄一のDNAが引き継がれていたことは感動ものです。そのことに気付いたのは、京阪電車創業100周年の時でした。「先覚之志茲に成る」の扁額があることは誰もが知ってはおりましたが、何気なく見ているだけ、その意味することを教えてくれる人はいませんでした。きっと、知っている人はいなかったのではないかと思っています。創業100周年で渋沢栄一を振り返り、渋沢栄一の志と同時に村岡四郎の志を知ったことは、社長であった私の大きな喜びとするものであります。

 実は就活の時、沢山ある企業の中から京阪電車を選ぶ結果となったのもご縁というもので、村岡四郎のいる京阪電車を勧めてくれる人がいたからであります。ビジネス街の中心まで延伸した京阪電車は以後急速に輸送人員を伸ばしていきます。