佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2015年7月6日(月) 大阪大学豊中キャンパス

「ひらパーから関西を考える」

 開業当初の乗客数の少なさは、経営上の悩みのタネでありました。それは経営陣にとって開業前から危惧されたことであり、沿線の魅力を作るためにも沿線に旅客誘致施設を設ける必要に迫られていました。京阪電鉄100年史によると明治43年開業の3年前、取締役会において「遊園設置に関する件」が上程されています。計画は進み2年後の香里に土地を購入、香里遊園とし開業することになり、園内には名古屋の事業者と契約して菊人形・菊花展を催すこととなりました。こうして京阪電車の沿線に旅客誘致のための遊園地が生まれました。その後進化してゆくことになる、ひらパーの誕生です。

P004_s4.jpg極めて順調なスタートでした。「京阪沿道唯一の遊園なる香里は今回一萬余円の予算を以て大規模のパノラマ式菊人形を観せる筈にて是も一両日中には出来上がる都合なれば十五日より開園し夜間数十本の弧光燈と白熱燈を点ずとぞ」(香里の開園・大阪朝日新聞)と紹介され、明治43年10月15日から12月10日までの47日間の開催期間中に約60万人が訪れたと言います。人口がまだ少なく単車運転時代の明治43年のことです。100万人突破と騒がれた昨年度のひらパー入場者と比較すると、いかに大盛況だったか、理解できます。菊人形のテーマは「雪月花」。日本人の好きなテーマですね。

翌年も盛況でした。「更に一層の設備を加へ電気応用の大仕掛」(香里遊園の菊人形・大阪毎日新聞)と紹介され、見流し16場面、忠臣蔵5段返しの菊人形には、京都の石鹸業者がスポンサーとなり、55銭の石鹸を買った人には香里・京都間の優待乗車券が付いたそうです。「忠臣蔵」も日本人好みです。以後、菊人形のテーマは、「忠臣蔵」は何度も取り上げられています。一番多いのではないでしょうか。だが、旅客誘致施設である菊人形の貢献にもかかわらず、電車の業績は不振でした。香里遊園跡は住宅地として開発されることとなり、売却が決まりました。