佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2012年(平成24年)11月17日(土) 立命館大学経営学部50周年記念式典講演

「千客万来都市OSAKAプラン~経営から歴史を学ぶ」

  • その3(元大阪市長 関一が説く大大阪の夢と大志)

CIMG5754.JPG「講演を熱心に聞く参加者」
 それでも大大阪と言われるのはどうしてでしょう。大正14年西成、東成両郡を編入して面積、人口が大きくなって物理的な意味で大大阪になったのは間違いありませんが、それ以外のものがあったからこそ、大大阪と言われたのではあるまいか。歴史探偵ではありませんが、歴史に学び、歴史を流れるストーリーを知りたいものですね。

 郡部を編入しただけでなく、都市計画に基づいて御堂筋や地下鉄を作った当時の市長である関一は講演でこう述べております。

 大阪はマンチェスターに比べますれば、遥かに長い歴史を持っている。三百年の光輝ある歴史を持っている。伝統的の自治精神を持っている。この伝統的自治精神によりまして、帝国経済上の中枢たる特質を発揮し、世界的商工業都市としての地位を確実にしなければならない。

 近世の大阪は豊太閤の雄図に依ってその基礎を築き、徳川氏時代に町人の都として特有の文化を発達せしめた。この文化の特色は統一的形式的でなく、自由なる個人的であることである。近世の企業的精神はこの自由なる個人的の空気の内に最もよく発達するものであって、徳川氏の町人の歴史はよくこれを証明している。この企業的精神こそ大阪市が帝国の経済上の進展に其の重大なる責任を尽くすに当って最も必要なる条件であって、我々は編入によって成立した大大阪の面積の広きことや、人口の多きことを誇るべきでない。此の自由なる進取的の企業精神を活動せしむる根拠地として、大大阪を完成すべきである。此の方針を以って進むならば大大阪の将来は祝福すべきものあることを疑わない。

 お分かりでしょうか。関市長は、面積の広いことや人口の多いことで以て大大阪というのではない、と戒めているようであります。そして自由で進取的な企業精神を発揮する根拠地として大大阪はあるのだ、と述べております。更に、視野は世界に向かい、世界的商工業都市としての地位を確立するのだ、と夢と大志を語っているのであります。

 大阪のトップリーダーがこう語れば、困難な時代であっても、市民は勇気百倍でしょう。将来に夢と希望を見出していたことでしょう。リーダーとはかくあるものです。眦を決して足下の困難に対処するが、目線は遠く、将来を見つめて前進する。これがリーダーの姿勢であります。

 思い出しました。余談ですが、俳人西宮 舞さんにこんな句があります。

 「霧襖進めば少しづつ開く」

 霧に包まれ危険だからと立ち往生しているだけでは、展望は開けません。少しでもアクションを起こせば、先が見えます。私の一番好きな5、7、5です。大変勇気をもらう5、7、5であります。リーダーの座右の銘となり得る言葉であります。

 関市長もおそらく、濃霧の中、自らが襖を開いて一歩先を見、将来の展望を市民に示したのではなかったでしょうか。

 では、関市長が自らを鼓舞させた原動力とは何か。自信とはどんなものだったのか。それは、先ほどの講演から判断すれば明々白々であります。大阪の土壌に根付いている精神を呼び覚まそう。東洋のマンチェスターと呼ばれた大阪だが、大阪には本家マンチェスターより長い歴史、それも伝統的の自治精神があるのだ、太閤さん、徳川氏の治世の中で特有の文化が花開き、形式にとらわれない自由な精神が育まれてきた。その自由で進取的な企業精神を発揮させれば、大大阪を築くことができる。関市長はそう確信したのではなかったか。自由で進取的企業精神を発揮させる大舞台として大大阪があったのであります。