佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2012年(平成24年)11月17日(土) 立命館大学経営学部50周年記念式典講演

「千客万来都市OSAKAプラン~経営から歴史を学ぶ」

CIMG5757.JPG「大大阪時代について熱弁をふるう佐藤会頭」 さて、京都はいつの時代も大京都かもしれませんが、大阪は過去に大大阪と呼ばれた時代がありました。大正の終り頃から昭和の初めにかけてであります。大阪は幕末、明治維新に没落しましたが、明治3年に大阪砲兵工廠、大阪造幣局ができて新しい産業が起り、復興の道を歩みます。その後には綿紡績業も集積し、大正11年の統計では大阪は貨物トン数全国一位の地位を確保します。人口も明治初め28万人だったのが、22年には47万人となり、元禄時代の42万人を越えます。

 こうした勢いの頂点として、大大阪の時代を迎えます。大正14年、西成、東成という郡部を編入して人口200万人の大都市となるのであります。御堂筋、地下鉄が誕生したのもこの頃です。

 本日は、その大大阪の時代について学びたいと思っております。そして現在を打開する手掛かり、自信とかを得たいと思いますが、大正終り頃から昭和の始めにかけて華々し時代を築いた大大阪は、意外や意外、さっきご紹介した「京阪100年のあゆみ」を開きますと、この大大阪の時代は、京阪にとって大変厳しい経営環境にあったことが分かるのであります。

 大正13年8月に当時の岡崎社長はこんな訓示を出しております。因みに岡崎社長は岡崎邦輔といい、京阪三代目の社長で、元タイ大使で外交評論家の岡崎久彦さんの祖父に当たる人であります。

 訓示は次のように始まります。

 客秋関東地方に勃発せし大震火災は既に業に不況に在りたる我が財界をして更に一層沈衰せしめたるかその損害の莫大なりしと共に影響も亦深刻にして到底短日月の間に之を回復するの見込みなく今後数年間は尚不況の域を脱すること能わざるべし・・・・と厳しい経営環境について述べているのであります。

 そして、こう続けています。

 此に善処するの途は業務刷新、経費削減、経費節約等多多あるべしと雖も要は能率の増進に在りかさねて左に数項を掲げて諸士の注意を促すと共に之が実現を望むや切なり、と述べて13条の具体的な実践項目を挙げているのであります。

 御堂筋、地下鉄ができ、また赤い灯青い灯の流行歌が流行り、庶民が心ブラを楽しんだ大大阪の時代は繁栄の時代でもありましたが、華やかなイメージの方が先行しているのかもしれません。社史から見ると大変厳しい時代だったのであります。

大大阪とは、活気と衰退の混在した時代。そう言った方が正確なのかもしれません。

 実際、昭和2年に支払猶予緊急勅令が実施され、昭和金融恐慌が起こっております。そして昭和4年にニューヨーク株式が暴落して世界恐慌が吹き荒れます。昭和金融恐慌は突如としてやってくるはずがありません。大大阪と言われ始めた大正14年は、既に大不況の前兆のというものがあったと言って良いでしょう。現に、大正13年京阪の社史で岡崎社長は厳しい時代認識を示し、社員に業務刷新や経費削減を訴えているのであります。
 大大阪の時代は不況の時代でもあったのであります。