佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2012年(平成24年)10月31日(水) 関西・経営と心の会 講演

「大阪のまちづくりのあり方」

経営と心の会111_ページ_01.jpg造成前のくずはローズタウン写真(クリックで拡大表示)  くずはがそうであります。くずはは、昭和30年代まで田園でした。湿地帯です。京都と大阪の中間に位置する地の利を生かして、昭和42年にくずはローズタウンの造成工事が始まります。翌年には分譲が始まり、年毎に住宅が張り付きます。駅も移設され、大きく綺麗になりました。そして昭和47年、住民の生活の利便提供のため、日本で最初のオープンモールが開業しました。くずはモールであります。

  無人の広大な湿地帯が毎年姿を変え、面積約200万㎡の巨大な街に整備されていく様子は、まさに誕生から始まる街の成長の歴史であります。開発基本計画と言う懐妊期間を経て誕生したくずはローズタウンは段々成長して住宅戸数5,500、周辺で便乗して開発した中小のデベロッパーの住宅を加えれば、6、7千戸になるでしょうか。住宅公団開発の団地を入れると、更に大きな数字となるでしょう。

  長い年月の分譲で開発地は段々先細りしていき、つまり成長は終わり、平成8年の造成工事でくずはの開発は終わります。その後は細々とした戸数の分譲となり、約40年で実質終焉を迎えております。土地買収に6年要しておりますから、懐妊期間を入れると実に50年近く、と言うことになります。

  この長い時間の経過の中で、若い世代だった居住者は当然高齢化してまいります。子供たちは成長して独立、老夫婦だけが住むくずはローズタウンになっていきます。当初分譲面積は一区画70~90坪と広かったのですが、老夫婦にはそんな広い庭は入りません。住宅を手離して、ミニ開発が始まります。1区画は3区画となり、30坪の土地の住宅が誕生していきます。ある意味では、衰退から再生への動きと言えるかもしれませんが、当初の理想的な街づくりのビジョンとはかけ離れた姿になっていったことは間違いありません。くずはローズタウンは、居住者の高齢化と同じで、成熟期から衰退期に移行する訳です。
経営と心の会111_ページ_04.jpg現在のくずはローズタウン(クリックで拡大表示)