佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2012年(平成24年)10月31日(水) 関西・経営と心の会 講演

「大阪のまちづくりのあり方」

  • その3(論語と算盤 大正維新の覚悟の章)

  維新、つまり日に新たなり、日に日に新たにして、また日に新たなりは渋沢栄一の論語と算盤の大正維新の覚悟と言う章の中に出てくるのですが、渋沢はこう続けています。即ち、維新とは日に新たなり、日に日に新たにしてまた日に新たなりの意味であるから、溌剌たる気力を発揮するときは自然に生まれたる新気力を生じ、新鋭の活動ができるのである。

  大正維新と言うも畢竟(ひっきょう:つまるところの意)この意味で、大いに覚悟を定めて、上下一致の活動を現したいものであるが、一般が保守退嬰(たいえい:新しい事を進んでする意気込みのないこと)の風に傾いておる際であるから、一層の奮励努力を要するので、これを明治維新の人物の活動に比較して大いに猛省せねばならぬ。明治維新以来の事業中には、失敗に帰したものも有ったが、多数の事業は非常なる元気と精力とをもって、駸々として発展し来ったので、他に種々な原因があったにしろ、元気と精力の偉大なるものである。

  こう述べているのであります。大正の頃、既に明治は遠くなりにけりの状況にあったらしく、維新の精神も緩んでいたのでしょう。

  それで、次代を担う青年に期待して、こう続けています。青年時代は血気時代であるから(血気盛んと言うことですね)、その血気を善用して後日の幸福の基となることであれば、飽くまでこれを発揮して、とかく保守に流れ、因循に陥りやすい老人をして、危険を感ぜしむるくらいに活動して貰いたいのである。青年時代に正義のため失敗を恐れておるようでは、到底見込みのない者で、自分が正義と信ずる限りは、あくまで進取的に剛健なる行為を取って貰いたい。正義の観念をもって進み、岩をも徹す鉄石心を傾倒すれば、ならざることなし、という意気込みで進まねばならぬ。

  この後は少し省略しますが、他日国家を双肩に荷なって立つべき青年においては、この際大いに覚悟をなして、将来は日に月に激甚となるべき競争場裡に飛び込まねばならぬ。今日の状態で経過すれば、国家の前途に対し、大いに憂うべき結果を生ぜぬとも限らぬのであることを思い、後来、悔ゆるがごとき愚をせぬように望むのである。

  明治維新の頃、万事創造の時代とも言うべき不秩序を極めた時よりは、今日の状態は著しく発達してその面影を一変し、社会百般の秩序も整備し、学問も普及して、事をなす便宜も多いのであるから、周到なる細心と大胆なる行動とをもって活力を発揮したならば、大事業を経営するに極めて愉快を感ずるであろう。

  ただ、かかる秩序立ち、一般に教育が普及した時代ゆえ、普通より少しぐらい進歩し僅かに卓越した意気込みをもって事に当っては、とても大勢を動かすことはできない。多少教育の弊害も生じやすい事情もあるのであるから、大勇猛心を発揮して活力を縦横溢れしめ、区区たる情弊を打破して、向上の道を猛進せねばならぬ。