佐藤会頭の眼~講演録
Chairman’s Eye with you

2012年(平成24年)10月31日(水) 関西・経営と心の会 講演

「大阪のまちづくりのあり方」

  私の愛読書の一つに、論語と算盤という本があります。日本資本主義の父と言われている、渋沢栄一の講演録をまとめた本であります。渋沢栄一は京阪電鉄の創業時の創立委員長でありまして、大変尊敬いたしており、私は渋沢イズムの継承発展を説いて回っております。その渋沢語録である、論語と算盤の中で、渋沢はこう述べております。

  維新ということは、湯の盤の銘に曰う「まことに日に新たなり、日に日に新たにして、また日に新たなり」という意味である、と述べています。

  湯とは銭湯の湯と書きますが、中国古代の殷王朝の初代の王様であります。殷は青銅器、甲骨文字という高度な文明を持つ、当時では世界でも先端的な国でありましたが、その殷の創業者である湯が自らを戒める言葉、それが維新でありました。日に新たなり、日に日に新たにして、また日に新たなり。渋沢はそれを維新だと定義しているのであります。端的に言うと、渋沢流維新とは毎日を惰性に生きてはならない、絶えず革新を求めた毎日でなければならない、今日は昨日とは違う新しい日でなければならない、と言うことであります。

  それで思い出すのは、殷鑑遠からず、と言う故事成語であります。殷王朝は自らを戒めることが本当に好きだったようで、殷王朝が手本とすべきは、遠くにはない、目の前にある。殷の前の夏がどうして滅亡したかということを考えなければならない、と言う意味ですが、殷王朝はそう自らを戒めたのです。ここにも、日に新たなり、日に日に新たにして、また日に新たなり、があります。今で言うところの危機管理が実に徹底していますね。

  その殷にしてからが、やがて紂王の時に周の武王に滅ぼされる。紂王は歴史上暴虐非道の代名詞みたいな王ですが、組織が長く続くと、殷鑑遠からずの教えも、日に新たなり日に日に新たにしてまた日に新たなりの自戒も通用しなくなるということであります。殷王朝の後は周ですが、今度は周が殷のようになってはならない、と、日に新たなり日に日に新たにして日に新たなり、と戒めたのではないでしょうか。