2015年8月28日  中之島なつまつり2015(北区)parts_new.png

CIMG0568.JPG「盆踊り会場のステージ前には大勢の参加者が詰めかけた。」  8月28日に大阪国際会議場(グランキューブ大阪)1階プラザで開催された中之島なつまつり2015に実行委員の一人として出席した佐藤会頭は、特別ゲストとして招いた大阪府寝屋川市出身の大関豪栄道らと親しく懇談。中之島ならではの水辺の夏祭りの機会を浴衣姿で楽しんだ。
 この催しは、「まちなかでゆかたきてぼんおどり」をキーワードに3年前からスタートしたもの。地域の住民にも開放した夏のイベントとして市民ボランティアによる音楽等のパフォーマンスも披露されたほか、今年は朝日放送の岩本、喜多両アナウンサーらが「おは朝 盆踊り部」を結成。舞台上で「おは朝音頭」による踊りを披露し、会場は大いに盛り上がりを見せた。このあと河内屋菊水丸氏を迎えての盆踊りでは巨大な輪が広がったほか、有名店のグルメ屋台なども長い行列ができ、国際会議場一帯は6,500名を超える大勢の住民や企業市民で賑やかな一夜となった。 
CIMG0572.JPG「朝日放送の喜多アナウンサーらが舞台上で「おは朝音頭」による踊りを披露。」CIMG0593.JPG「実行委員会関係者によるご挨拶。右から6人目が佐藤会頭。右端が豪栄道関」













 視察を終えた佐藤会頭は、「中之島なつまつりも今年で3回目となり、島民のイベントとして定着してきたのではないか。2階から見学するのとフロアで参加者の中にいるのでは感じる熱気が全然違う。先般道頓堀のとんぼりリバーウォークでもビッグ盆というイベントが行われ、2,000人を超える方が参加して盆踊りのギネス記録を達成されたとお聞きしている。こうした大阪の水辺や各地で新たに実施される様々な「祭り」を掘り起す一方、岸和田のだんじり祭りをはじめ、地域文化として継承されてきた伝統的なお祭りを組み合わせ、大阪を訪れる海外観光客に”年間フェスティバル一覧”を提供し、リピーターとして再訪してもらえるような仕掛けも大事だ。そのためにも関西各地の「祭り」を改めて掘り起し、イベントの熱気や賑わいを広げていく工夫が必要だ。」と感想を述べた。
CIMG0594.JPG「舞台上の佐藤会頭(中央)。京阪電鉄、朝日新聞、ロイヤルホテルの幹部などが登壇した。」 CIMG0601.JPG「河内家菊水丸氏を迎えての盆踊りでは巨大な輪が広がった。その模様を視察する左がソプラの白川社長、左から2人目が佐藤会頭。」 CIMG0537.JPG「大関・豪栄道関(右)と記念撮影する佐藤会頭」

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2015年8月5日  北浜テラス「北浜うらら」(中村酒店)parts_new.png

CIMG0139.JPG「北浜うららの入口に立つ中村オーナー」 8月5日に佐藤会頭が訪れた土佐堀川に面する北浜テラスのあるエリアは、中之島の中央公会堂や中之島公園を手に取るように見ることができ、開放感のある非常に恵まれた立地。中之島周辺では、親水性を高めた水辺空間の整備が図られ、年間を通じて数々のイベントや催しが実施される一方、北浜エリアでは日本初の常設川床が2009年にスタートし、水都大阪の風物詩として定着してきている。今年も3月24日に川床開きが行われ、現在では9店の飲食店が営業。運営する北浜水辺協議会は民間の任意団体としては全国で初めて河川敷の包括的占用者として許可を受け、1年を通じて川床を楽しむことができるようになってきている。

CIMG0144.JPG「納涼テラスで佐藤会頭(左)に店舗を紹介する中村氏(右)」  佐藤会頭は、当日、青木松風庵の会長らをゲストに招いて川床の運営店舗の一つである北浜うららを訪問した。北浜うららは本所の会員企業である中村酒店(本社:泉佐野市)の中村慎作氏が運営。中村氏は、「大商には2009年に入会したが、北浜テラスの運営に関するサポートや社業拡大に関するITや人材関連情報をタイムリーに頂戴できるなど大変助かっている。また月刊島民でも北浜テラスをご紹介頂き、来訪者も少しずつ増えてきた。当店では、泉州産の地酒なども置いており、オーナーお奨めの日本酒とともに季節を感じさせる旬の素材を使った和食を納涼気分で楽しめるのが特徴。予算に応じたおまかせ会席なども提供しているのでぜひ気軽にお越し頂きたい。」と述べた。


CIMG0150.JPG「夕暮れ時に青木松風庵の会長らゲストを交えて懇談する佐藤会頭(右端)」  訪問を終えた佐藤会頭は、「川床は夕暮れとともにそよ風で心地よくなり、中之島の夜景も綺麗で開放的な気分に浸ることができた。元々この辺りは京阪電鉄の中之島新線の開業に合わせて再開発されたエリア。鉄道や道路交通網の発達により、それまでの主要な交通インフラであった舟運による交通網が衰退し、人々が川辺を意識する機会が少なくなってきた。そこで八軒家浜の川開きでは、船着き場や川に面したスペースを広く事業利用者に開放。こうした試みや水都大阪イベントの横展開をきっかけに、とんぼりウォークのみならず、中之島西部や本町橋船着き場、大正リバービレッジなど河川敷を活用する取り組みが少しずつ広がってきている。水の都大阪を復活させるためには市内中心部を流れる水辺空間の活性化が重要な課題。今後も琵琶湖から淀川流域、そして大阪市内に至る水辺空間の親水性を高める事業をライフワークとして取り組んでいきたい。」と感想を述べた。
CIMG0152.JPG「中之島の夜景が映える納涼テラス」 CIMG0155.JPG「中村酒店の中村社長と記念撮影」

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2015年8月1日  とんぼりリバーウォーク(中央区)

CIMG9968.JPG「ステージ船での水上パフォーマンス」  8月1日に水都大阪2015のオープニングセレモニーがとんぼりリバーウォークで開催され、水と光のまちづくり推進会議会長を務める佐藤会頭の開会宣言の下、大道芸や和太鼓など様々なプログラムが次々に繰り広げられ、大勢の観光客で賑わった。


CIMG9987.JPG「地元高校生による和太鼓パフォーマンスも披露され、拍手喝采をあびた。」




佐藤会頭はじめ溝畑大阪観光局長、松井知事、橋下市長らは、火と水を吹くアート作品のラッキードラゴンやステージ船での水上パフォーマンスを大勢の見物客が見守るなか、湊町乗船場から専用船で道頓堀川を東進してイベント会場に到着。開会挨拶を行った佐藤会頭は、「私自身、大阪にでてきて50年になるが、道頓堀川のこのような賑わいは初めてで感激している。今年は道頓堀開削400周年、大阪城まちづくり400年にもあたる記念の年。清少納言が枕草子で語ったように、「春はあけぼの、、、夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる・・・・。」とある。これからの夕暮れ時刻から始まる水都大阪のイベントを納涼気分でぜひ皆さんで楽しんで帰って欲しい。」と挨拶を行った。


CIMG9992.JPG「水を吹くアート作品のラッキードラゴン」  水と光のまちづくり推進会議(会長:佐藤会頭、事務局:大商)では、8月1日のオープニングイベントを幕開けに、11月にかけてコアプログラムや水都大阪パートナーズプログラムなどの連携企画を中之島公園や中之島ゲートなどで実施。とんぼりリバーウォークでのオープニングイベントの視察を終えた佐藤会頭は、「天満橋に面する八軒家浜の開設がターニングポイントとなって水都大阪の事業が始まった。それを主導したのは関西経済同友会の水都大阪推進委員会であった。今後も水都関連のイベントはこのことを常に心に留め、民の主導で仕切って事業を展開していくことを考えていってもらいたい。そのためには企画力も必要だ。次は、八軒屋浜が起点となって海の守り神であった住吉大社に至るような街歩きによる熊野詣コースのプログラムを再び実施してほしい。」と今後の活動に期待を込めた。

CIMG0032.JPG「オープニングセレモニーで挨拶を行う佐藤会頭」 CIMG0044.JPG「欧米からの海外観光客などで賑わうとんぼりリバーウォーク」

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2015年7月10日  株式会社フジオフードシステム新本社ビル (北区)

IMAG2512.jpg「新社屋披露式典で来賓挨拶を行う佐藤会頭」  7月10日、佐藤会頭は株式会社フジオフードシステムの新社屋披露式典に出席し、その後新本社ビル内を視察した。新社屋は天神橋北詰西の大阪市北区菅原町に建設され、本社機能のほか、実際の店舗と同じ環境を整えた研修センターを併設している。
 同社の藤尾社長は、「幼少期を過ごした天神橋界隈は私の原点。原点を忘れないという気持ちでこの場所に新社屋を建設した。売上高や店舗数も大切だが、たくさんの人を幸せにするというゴールをもう一度あらためて胸に刻み、新しいスタートを切りたい。そのためにも従業員の研修制度の更なる充実を図り、日本のみならず海外からも多数の研修生を受け入れて人材育成に取り組んでいきたい。」と意気込みを語った。
IMAG2522.jpg「新社屋の屋上から京阪電鉄本社方面を望む。左が藤尾社長、右は佐藤会頭」  藤尾社長は、1979年(昭和54年)に個人事業として藤尾実業を創業。その後、様々な新業態の外食ビジネスを手掛けてノウハウと経験を蓄積。1988年(昭和63年)には 「まいどおおきに食堂」の1号店となる「森町食堂」オープンさせたほか、次いで1996年(平成8年)には大阪市中央区堺筋に新業態「つるまる饂飩」1号店オープン。1999年(平成11年)には株式会社フジオフードシステムを設立して代表取締役に就任し、その後業容を順調に拡大。2002年(平成14年)には 大阪証券取引所「ヘラクレス」市場に上場(*現在は「JASDAQ」市場)。2006年(平成18年)以降は、中国・上海や米国・ハワイなど海外にも順次店舗展開を進めている。現在、一般社団法人大阪外食産業協会の代表理事・会長も務め、自ら先頭に立って次回2017年に開催する食の博覧会の準備に奔走している。
 新本社移転日(営業開始日)は2015年(平成27年)7月13日。新社屋での来賓挨拶と視察を終えた佐藤会頭は、「私は人の温もりを感じさせる藤尾さんのお店の大ファン。和食は京料理と言う人もいるが、大阪の料理が和食の原点であると思っている。藤尾社長のお店は新ジャポニズムの原点だ。大阪だけでなく、東京や台湾など多数店舗を展開されており、今後和食の食文化を内外に普及させていくと確信している。」と述べた。佐藤会頭は12日からの台湾訪問でフジオフードの店舗「ごはんや大安森林食堂」を訪問。海外での店舗運営を実地に見学する機会をもった。


IMAG2525.jpg「本社ビル内の応接コーナーなどを案内する藤尾社長(右)」 20150714_091352.jpg「佐藤会頭は、7月14日に台湾にある「ごはんや大安森林食堂」を視察した。」

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2015年7月7日  平成OSAKA天の川伝説2015 (中央区)

CIMG2558.JPG「神事は、かわの駅はちけんや前で、大川に面したスペースで行われた。」 7月7日の七夕に開催された平成OSAKA天の川伝説2015のイベントに佐藤会頭が出席した。同イベントは今回で7回目で、当日は天候不順も予想されたものの何とか曇り空のままで催行することができ、天満橋や八軒家浜周辺の沿道は大勢の人出で賑わった。また願いごとを託した青色LEDを光源とする光の玉「いのり星」は午後7時過ぎに一斉に放流され、大川や堂島川の川面を幻想的に彩った。





CIMG2562.JPG「安全成功祈願祭後に大阪天満宮の岸本禰宜と懇談する佐藤会頭」

 当日視察を終えた佐藤会頭は、「安全成功祈願祭でもお祈りしたので、今年も事故なく事業が終えられることを期待している。今回は残念ながら松井知事、橋下市長にお越し頂けなかったが、関・近畿経済産業局長にイベントを視察してもらえることになった。当面の課題は安定した運営を行うためのイベントの黒字化だ。運営実施主体を一般社団法人化する話が進んでいるが、今後このイベントを大阪の名物行事に育てていくためにも必要な措置だと理解している。イベントの実施運営に携わられた関係者の皆様のご努力に敬意を表したい。おかげさまで天神祭の序曲としても定着しつつあるが、青色LEDの電球を川に浮かべて情景を楽しむ試みは水都大阪イベントが2009年に中之島周辺を会場に実施されたのが発端だ。当時の橋下大阪府知事が、点灯式で対岸がライトアップされて綺麗になったと挨拶。私のほうから肝心の大川の川面は暗いままだ。

CIMG2567.JPG「関係者の懇親会で自作の句を披露して挨拶を行う佐藤会頭」ホタルイカを泳がせてはどうか、と冗談で応酬した。このアイデアに賛同した毎日放送の山本雅弘会長(当時)などが発起人に就任。そして2010年7月7日に行われた天の川に見立てた小型青色LEDランプの放流事業がこのイベントのはじまりだ。これまでにも京都、琵琶湖や、2012年には東京の隅田川でも同様のイベントが行われたが、このイベントとアイデア発祥の地は大阪であると常に声を大きく紹介している。こういうこだわりをしなければ、あっという間に大阪発ブランドは消えていく。今後は大阪発の事業アイディアを世界に広めていくことも視野に入れたい」と述べた。本会議所では同イベントの支援を盛り上げるため添書を発行して協賛を広く呼びかけた。


CIMG2575.JPG「川面に浮かぶ青色LEDの「いのり星」(八軒屋浜から中之島方面をのぞむ)」CIMG2579.JPG「佐藤会頭(中央)、株式会社フジオフードシステムの藤尾社長(右)とレンタル浴衣を提供する小野社長(左)」CIMG2584.JPG「幻想的な風景がバックミュージックと共に披露された。」

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2015年7月3日  Taishoリバービレッジ (大正区)

CIMG2348.JPG「社会実験に参画するピアサーティフォー・ノースの渡邊オーナーと懇談する佐藤会頭(中央)」 佐藤会頭、西川・西支部長は、6月6日から社会実験事業として実施されているTaishoリバービレッジの現場を視察した。
 同事業は、大正区などが主体となって整備することを検討している「尻無川河川広場エリア活性化プラン」の策定に向けて現状把握やマーケティング等を目的として実施されたもの。尻無川河川広場は、川を挟んで大阪ドームやイオンモール、DIYの大型ショップが新たに建設され、街の交流人口増加にあわせて周囲の風景が著しく変貌を遂げているエリア。橋下市長や筋原大正区長も当地の開発に多大な期待を寄せており、今般の企画でも大正区域を小型船で巡るミニ周遊クルーズ企画のほかバーベキューレストランや屋台グルメの運営を通じて南国リゾートムードの演出などにも力を入れている。

CIMG2357.JPG「南国ムードを醸し出す川に浮かぶレストランバー(尻無川河川広場エリア)」 大正区の筋原区長ら関係者は、「当地はJR・地下鉄大正駅から徒歩2分という便利な場所にある。社会実験事業としては、7月7日までの予定であったが、水都大阪2015のイベントとして10月18日まで延長して継続実施することになった。川と海のまちである大正区をPRできる絶好の機会であり、大正区の水辺地域をぜひ盛り上げていきたい。」と意欲を見せた。







CIMG2373.JPG「中央奥が中山製鋼工場。情緒あふれる大正区内の航路。」 現場を視察した佐藤会頭は、「小型船で大正区をグルリと1周させて頂いたが、中山製鋼などの工場群が夜にライトアップされれば、水都・大阪の新たな目玉になりうるのではないか。尻無川周辺は大正区と西区が隣接するエリアだが、大阪ドームなどに足を運ぶ若者層が気軽に立ち寄れるアミューズメント拠点として発展することも期待できる。本会議所の西支部では、区民や支部内外の方が一緒に楽しい時間を共有できる空間の整備を支援しており、西川支部長も自ら足を運んで現場目線で実験事業を確認されている。水辺に向かう新たな拠点となり、Taishoリバービレッジが賑わい創造の目玉として定着することを期待したい。」と感想を述べた。


CIMG2386.JPG「大正区民の市民の足である渡船も健在。」 CIMG2388.JPG「木津川水門前を周遊するリバークルージング」 CIMG2399.JPG「リバービレッジ前で記念撮影。左から佐藤会頭、筋原大正区長、西川・西支部長」

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2015年7月3日  久金属工業㈱ (西成区)

CIMG2269.JPG「同社の応接室で会社概要を説明する久社長(右)、左から西川典男・西支部長、佐藤会頭、右から2人目は西村副会頭」 7月3日、佐藤会頭、西村副会頭、西川・西支部長らは今年創業100周年を迎えた久金属工業㈱を訪問し、医療品瓶、酒類瓶などのキャップ製造現場を視察した。
 大正4年、現社長の久義裕氏の祖父にあたる久庄次郎が創業した同社は、鳥井商店(現サントリー・ホールディングス)の時代から輸入もののウィスキーのポケット瓶の蓋などを製造してきたほか、大正11年頃からは医薬品の容器や薬瓶の蓋を受注し、ビオフェルミンの蓋や金鶴香水(現マンダム)の丹頂ポマードの容器を製造するなど精度の高い製品づくりで信頼を集めたきた。




CIMG2273.JPG「綺麗に整理整頓された工場内を視察する佐藤会頭」  今回の訪問は久社長から100周年記念で製造されたサントリーとニッカの詰め合わせウィスキーセットが佐藤会頭に贈呈されたのがきっかけ。当日、社内の案内と製造ラインの紹介を行った久社長は、「本日お越し頂いた西成区の工場は昭和12年の建物をそのまま活かしている。現在では、医薬品など道修町向けの仕事が多く売上げの約45%を占めている。また滋賀県甲賀市の工場は酒類の蓋を製造し、売上全体の約50%に達している。昨今のウィスキーブームで受注は堅調だ。当社は、新製品を次々と開発し上市するタイプの会社ではなく、成熟した製品を品質とともに得意先に対して届けるタイプの会社。そのためクライアントがウィスキーボトルのキャップを開ける折に怪我などしないように最善の努力を払って品質改善を行ってきた。また1971年に当社が我が国で初めて開発した医薬品瓶用フリップオブキャップの製造にあたっては生体由来物が混入しないよう製造過程にも細心の注意を払っている。現在では本社・工場に55人、滋賀工場に35人の従業員がおり、年商は16億円の規模だ。」と説明を行った。


CIMG2287.JPG「医薬品用キャップ製品の目視チェック工程を見学」  訪問を終えた佐藤会頭は、「ボトルキャップの製造を通じて、医薬品業界と酒類販売業界という分野の全く異なるビジネスとお付き合いされていることに驚かされた。現社長の祖父の方はサントリーやニッカの創業者とも交流があったとのことだが、こうした地道に経営されている会社に支えられて大大阪の時代が築かれたきたのだと改めて実感した。会社のあり方もいろいろあるが、現在まで受け継がれてきた当時の施設や応接室からは時代を超えて信頼される製品を作りあげてこられた心意気とキャップ生産者の誇りを感じ取ることができた。新たなマーケット開拓に加えて、BCPなど当面の防災対策も課題だが、地道で骨太な企業経営というものを学ばせて頂いた。」と感想を述べた。


CIMG2319.JPG「同社の製品の数々」 CIMG2335.JPG「応接室内で記念撮影」 CIMG2337.JPG「映画のワンシーンのような事務棟建物の前で記念撮影」

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2015年6月9日  比叡山延暦寺 (滋賀県)

根本中堂.jpg「根本中堂」 9日に比叡山法灯護持会のため延暦寺を訪れた佐藤会頭は、東塔の根本中堂などを視察した。

 「延暦寺」とは、比叡山の山内にある500ヘクタールの境内地に点在する約150ほどの堂塔の総称。いわゆる延暦寺という寺社仏閣の建造物があるわけではなく、山内が大きく3つの地域に分かれ、東が「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、北が「横川(よかわ)」と呼ばれている。この三つの区分を三塔と言い、それぞれに本堂があるのが特徴。今回佐藤会頭が訪問した根本中堂は、東塔地域にある本堂。この東塔地域は延暦寺発祥の地で、伝教大師最澄が延暦寺を開いた場所であり、総本堂根本中堂をはじめ各宗各派の宗祖を祀っている大講堂、先祖回向のお堂である阿弥陀堂など重要な堂宇が集まっている。(比叡山延暦寺HPを参照記載)

 またこの東塔地域には、延暦寺バスセンターがあり、比叡山山頂、西塔、横川地域へのシャトルバスや京都市内行きの路線バスに乗車することができるほか、坂本ケーブルを利用して門前町坂本へ降りることも可能。境内には、宿坊延暦寺会館があり、食事や宿泊、修行体験をすることもできるほか、一隅会館やロテル・ド比叡などの施設も至近。佐藤会頭は現在、鳥井道夫前会長の後を引き継ぎ、比叡山法灯護持会の会長を務めている。この法灯護持会は昭和35年に発足し、初代会長を杉道助氏(第16代大商会頭)がつとめ、その後も昭和42年に市川忍氏(第18代会頭)が副会長、昭和54年には佐伯勇氏(第19代会頭)が会長職を務めるなど、歴代大商会頭が正副会長を務めることも多く、大阪商工会議所とも縁が深い。

根本中堂中陣・外陣.jpg「根本中堂 外陣、中陣」  訪問を終えた佐藤会頭は、「日本の仏教の母山と言われる比叡山だが、788年(延暦7年)、ここに最澄が延暦寺を開いたのは皆さんも良くご存知のことと思う。織田信長の比叡山焼き討ちの時にも護ったと言われる不滅の法灯は根本中堂にある。その不滅の法灯を護る会が法灯護持会。初代の会長はである杉道助氏は、吉田松陰の兄、杉民治の孫に当たる。私の前の会長である鳥井道夫さんは大阪商工会議所副会頭鳥井信吾さんの父上。鳥井道夫会長の後、しばらく法灯護持会会長は空席だったのだが、3年前、鳥井信吾さんが会社に来られて会長就任を強く依頼された。鳥井さんから、杉道助大商会頭が初代の法灯護持会会長であることを説明され、会長職をお引き受けする決心をした。毎年延暦寺の年賀式は1月8日。京阪電鉄の取締役の時代から私自身も必ずお詣りする機会を設けてお座主のお言葉を噛み締めているが、参列者だけでなく、この1年のありがたいお言葉を下界に放射してもらいたいと思い、4年前の年賀式の後の懇談の場でそうお願いした。延暦寺さんは私の期待に応えてくれ、3年前は「慈念念」、昨年は「挑心燈」、そして、今年は「尽真心」という漢字3文字を、執行(いわば、延暦寺の内閣総理大臣)が披露され、毎年心から念じて揮毫されている。」と関わりを披露。戦後の荒廃、混乱の中、先達である杉道助氏が語った「大阪の復興が日本経済の発展、国力の回復となる」を改めて肝に銘じ、慈念念の優しい心根を持って挑心燈を燃やし、「能く行い、能く言う」(伝教大師・最澄の言葉)を真心を尽くして実践していきたいと語った。

 天台宗の開祖である最澄は、「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という精神を現代に伝えており、これを受け継ぐ 「一隅を照らす運動」は、一人ひとりが心豊かな人間になり、平和で明るい世の中を共に築いていこうという社会啓発活動。また延暦寺は滋賀県唯一の「世界文化遺産」で、1994年にユネスコにより京都市および宇治市の寺院、神社等とともに『古都京都の文化財』に登録されている。

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2015年6月8日  ㈱青木松風庵(泉南郡岬町)

CIMG1978.JPG「本社応接室にて懇談。左から青木まゆみ副会長、青木智子専務、青木一郎社長、佐藤会頭、高映企画の横田社長」  6月8日、佐藤会頭は泉南郡岬町に本社(深日本部)を置く㈱青木松風庵を訪問し、青木まゆみ・取締役副会長、青木一郎代表取締役社長らと懇談。その後、青木智子専務取締役らの案内で2014年に竣工した岬工場、基幹販売店舗の一つである阪南店(阪南市)、阪南工場を順に視察した。今回の訪問は、4月28日に同社の青木啓一会長が大阪商工会議所を訪れ、大阪土産の開発状況などにつき佐藤会頭と懇談の機会を持ったことから製造現場の見学が実現したもの。(参照 会合記録:「㈱青木松風庵 青木啓一会長との懇談」(平成27年4月28日)) 当日は、岬工場での月化粧(平成26年モンドセレクション最高金賞を受賞した同社の主力商品)の自動製造ラインに加えて、阪南工場では、自家製餡へのこだわりである小豆を炊く銅釜や、和菓子材料の代表である山の芋、寒天などを使って製造される生菓子やみかさなどの製造工程につき説明を受けた。
XXXXCIMG1999.jpg「売上の季節変動を紹介する青木一郎社長(左)と佐藤会頭(右)」  当日、最初の訪問先となった深日本部は、岬工場が新設されるまで製造ラインや倉庫があった場所。青木会長夫妻が昭和59年に従業員4名で創業。40坪の工場を同地に立ち上げて以降、旧泉南郡において地域一番店を目指す戦略で急成長を遂げてきた。創業31年目となる平成26年には泉南郡岬町多奈川に岬工場(敷地面積約18,837㎡、建築面積約2,206㎡)を新設。青木会長が20年来の構想を実現して大阪土産として育ててきた「月化粧」の自動製造ラインを設置し、更なる増産体制を整備してきた。CIMG1987.JPG「顧客管理システムの運用について説明する青木智子専務(右)」
 同社の青木一郎社長は、「現在グループ全体で537名の社員が従事しており、工場が217名、店舗管理や事務担当で320名が在籍している。当社の売上げ季節変動は、年間を通じて傾向値が顕著で、3月、8月(お盆時期)、12月(年末年始)が売上のピークとなり、5月(ゴールデンウィーク)がそれに続く。そのため繁盛時期に合わせて年間スケジュールを組んでおり、ご訪問頂いた今月(6月)は、比較的閑散時期と重なる。そのため、現在は8月のお盆時期に備えて社員の研修などを連続して開催している。また社員のうち、CIMG1993.JPG「30年余りの歴史を振り返り、自社商品を紹介する社史年表」 現在男性社員は工場など現場を中心に95名のみ。残り全て女性社員であり、その意味で当社は女子力をフル活用している会社だ。人材育成にあたっては、社員が幹部を評価する360度方式を導入しており、品質管理部門をはじめ多くの女性幹部が活躍の場を広げている。月化粧は、TVのコマーシャルが功を奏して大阪土産の主軸商品に育ってきている。おかげ様でグループ会社を含めた売上規模は40億円を超える規模に育ってきた。市場開拓では、約1億円かけてお客様の会員カードシステムを開発、顧客の満足度向上に努めている。新商品開発に向けて、週1回企画会議を開催。最近では和歌山国体向けの新商品やサンリオブランドと提携した歌舞伎クッキーなどを開発した。また品質管理面では消費者の食の安心・安全に応えるべくISO22000を生産現場で取得している。」と近況を披露した。
CIMG2007.JPG「月化粧看板前で記念撮影。左から佐藤会頭、青木社長、同専務、同副会長、横田社長(高映企画)」  訪問を終えた佐藤会頭は、「青木松風庵のお菓子が我々にどのようにして届けられているのかを、原料素材の管理から、自家製餡作りの工程、製品化までの工程を視察させて頂き、大変感銘を受けた。何より工場内が明るく清潔なことに最も驚かされた。さらに銅釜での餡製造工程では、最新鋭のシステムと職人の技とを融合させ、最後は人間の五感で確認した上で味を担保するとともに、商品チェックでは、従業員が自ら当日の菓子の出来を採点し、日々改善に取り組んでおられることにも感激した。各店舗には毎日生産現場から商品が直接配送されており、鮮度にこだわった安全なお菓子であることを身を持って体験させて頂いた。そして何より青木ファミリーの仲の良さとおもてなしの心意気がお客様においしいお菓子となって伝わる原点ではないか。新大阪駅でのお土産街道での良い売場スペースの確保や、大阪市中心部や東部、さらには海外向けに販路を広げる取り組みにより、大阪を代表する和菓子界のリーディングカンパニーとして成長を遂げてほしい。」と感想を述べた。

CIMG2020.JPG「岬工場内で月化粧の自動生産ラインを視察」CIMG2035.JPG「基幹店となる阪南店を訪問し、青木智子専務(左)より説明を受ける佐藤会頭」CIMG2048.JPG「阪南工場で朝焼みかさ(どら焼き)の焼け具合を確認する佐藤会頭(左)」

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2015年6月4日  天王寺動物園(天王寺区)

CIMG1892.JPG「牧園長(右端)から最近の天王寺動物園の概況につき説明を受ける佐藤会頭(左端)」  今年開園100周年を迎えた天王寺動物園を訪問した佐藤会頭は、牧慎一郎園長(建設局・公園緑化部 動物園改革担当部長)、高橋由佳・天王寺動物園事務所長(経済戦略局天王寺魅力担当部長兼務)らの案内で園内の視察を行うとともに、天王寺公園と一体となった改革の取り組み等につき説明を受けた。

CIMG1810.JPG「天王寺公園からのエントランスエリアの開発状況につき説明を受ける佐藤会頭(左)」  天王寺動物園の前身となった府立大阪博物場の附属動物檻は、1884年に大阪市東区内本町橋詰町(現在のマイドームおおさか)に設置。1909年に大阪市に移管され、設置から30年後の1914年に内本町橋詰町から天王寺への移転が決まり、日本で3番目の動物園として1915年(大正4年)1月1日に開業。あべのハルカスや通天閣、阪神高速道路やJRに囲まれた約11ヘクタールの園舎は大きく北園と南園に分かれ、約200種900点の動物が飼育されている。また天王寺公園側の出入り口ゲート周辺は民活により芝生化工事などが進められており、新たな動物園へのゲートが現在建設中となっている。

CIMG1803.JPG「通天閣が真近にみられる園内を視察する佐藤会頭(左)、中央が牧園長、右がイバイ社長」  園内を紹介した牧園長は、「天王寺動物園は次の100年に向けて将来の中長期計画を策定する必要がある。希少種など野生動物が直面している厳しい現状もあるが、国内外の動物園との繁殖協力にも力を入れ、国際的にも第1級の動物園として認識してもらえるような取組みで認知度をあげていく必要がある。公立動物園としての役割を考えると動物のコレクション(展示する動物の種別)は、コストのかかるパンダなどでホームランを狙う戦略ではなく、種別の選択集中を進めて、ホッキョクグマやアジアゾウなどの固体確保に努めていきたいと考えている。現在、日本の動物園の中では200種類のコレクションがあるので比較的大手だと認識しているが、都会に立地する動物園であることからエリア拡張なども難しく、給餌方法の工夫やパネル表示などやれることも自ずと限られてくる。昨年度の入場者数は少し上向いて136万人まで戻ってきたが、今年はぜひ150万人程度の入園者を確保していきたい。そのため大阪市交通局とタイアップした誘客戦略などにも積極的に取り組んでおり、100周年効果を何とか維持・持続していきたいと考えている。今年8月のお盆期間は閉園時間を午後8時まで延長し、サマ-ナイトズーなどにもチャレンジする予定だ。天王寺駅からのエントランスエリアについては民間事業者と協定書を締結。今秋に向けて飲食・物販施設やソフト事業(イベント等の企画)を展開していく。」と説明を行った。

CIMG1875.JPG「きりんの給餌について説明を受ける。」  牧園長らと懇談を行った佐藤会頭は、「天王寺エリアの魅力を創出する仕掛けとして、民活を導入してエントランスエリアに賑わい創出していこうという取り組みは良いことだ。施設の老朽化、お客様視線のサービスの向上などの課題も現場を視察して改めて理解できた。動物園は建設局の管轄とのことだが、経済戦略局とも連携して改革を進められているとお聞きし、今後は動物園にもどんどん民間の活力を取り込んでいく手立てを考えていく必要があるのではないか。例えば現在の入園料500円では、黒字化も難しいとのことだが、インバウンドのお客さんは増えてきているとのことなので、ぜひアジアのどの国から来られているのか早急にリサーチし、来園された外国人によりブログやフェイスブックなどで情報発信してもらえるような仕掛けも考えていって欲しい。また国際的に通用する動物園を目指し、さらに誘客を進めていくのであれば、今日同席したナイトズーキーパーのイバイ社長によるデジタル動物園とのコラボもぜひ展開を考えていってはどうか。」と述べ 、継続した改革への取り組みや話題作りに期待感を表明した。


CIMG1869.JPG「公園内の人気ランキングで上記に入るトラ」 CIMG1851.JPG「あべのハルカスとキリン」

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2015年6月4日   「震災対策技術展」大阪 (北区)

CIMG1740.JPG「開会式でのテープカットセレモニー。左から2人目が佐藤会頭」  佐藤会頭は、グランフロント大阪内のコンベンションセンターで開催された「震災対策技術展」大阪の会場を視察した。(会期は6月4日~5日)

 今年で2回目となる同イベントは、「知識を活かし事前に備える」、「日常生活から災害対策」をキーワードに、河田惠昭・実行委員長(関西大学社会安全学部社会安全研究センター長、実行委員会:国土交通省、大阪府、大阪市、大阪商工会議所、関西情報センターで構成)が中心となって企画・運営。最新の災害対策製品や技術をを提供する民間企業にブース出展を呼びかける一方、会期中には地方自治体や研究・学術機関から専門家を招き、地震・災害対策をテーマにした44のセミナーを実施し、減災社会に役立つ取り組みや情報を幅広く提供。今回は昨年の9,000人を上回る参加者を得ようと初日は閉会時間を午後7時まで延長し、市民や企業関係者などに広く参加を呼び掛けた。
CIMG1743.JPG「災害対応用レスキュータイプ車輛を見学する佐藤会頭ら。左は小河副知事」
 開会式で挨拶を行った河田委員長は、「今朝も釧路で地震があったが、現在はまさに災害多発激化時代だ。想定される南海トラフ地震による自然災害も最近ではかなり被害想定を正確にシュミレ-ションできるようになり、日本政府もきちんとした対策を取らないと不作為と言われかねないことから必死に努力している。展示会を通して最新の防災・減災技術が一人でも多くの人に周知され、知識がいのちを助けてくれることを再認識してもらえる機会にしていきたい。」と抱負を語った。

CIMG1752.JPG「河田実行委員長(左)と懇談する佐藤会頭(右)」  開会式に参加後、会場を視察した佐藤会頭は、「今年では阪神・淡路大震災から20年、東日本大震災から4年が経過する。6月5日から議員関係者の皆様と東北の被災地を巡るが、半年前に視察した時から復興が更に進んでいるかどうか確認したい。関西では和歌山(紀伊半島)や京都(桂川、福知山)の水害、浸水など、身近なところで大規模自然災害の頻発化が顕著となっている。今回のセミナー参加申込者の集まり具合をお聞きすると、企業もBCPの一環として防災・減災への取り組みに相当意識が高まってきていると実感した。展示会場で出展企業の様々な取り組みをお聞きしたが、天井落下防止システムやアスベスト無害化施工技術、さらには避難誘導看板への音声システムの採用など、ちょっとした工夫の積み重ねが減災に繋がることも改めて良く理解できた。今後、企業の経営トップにも減災への取り組みの重要性を広めていきたい」と感想を述べた。
CIMG1790.JPG「入場待ちする参加者の列」CIMG1792.JPG「2日間で計44のセミナーが開かれ、開会前に37セッションで満席となった。」 CIMG1796.JPG「㈱エコ・24のブースでアスベスト無害化施工技術について説明を受ける佐藤会頭(左)」

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2015年6月1日  大阪天満宮 (北区)

CIMG1707.jpg「大阪天満宮で開催された天神祭渡御行事保存協賛会委員総会で挨拶する佐藤会頭」  6月1日、佐藤会頭は天神祭渡御行事保存協賛会の委員総会に出席した後、天満宮境内に復興した「天満天神の水」の湧水施設を視察した。天満宮会館入口に隣接して設けられた同施設はかつて井戸があった場所で、平成26年春に、関西大学の楠見晴重学長の全面的な協力により寺井宮司らが復活させた。
 大阪天満宮の境内にあった井戸地下水は、かつて大坂四清水の名泉として知られており、江戸時代には、参勤交代の途中で藩主が大坂に立ち寄った際、滞在先に取り寄せるなど「天満の名水」とたたえられ、周囲に130軒以上の酒蔵が並ぶなど人気を博していたという。その後、戦後の都市開発や地下鉄の開通に伴って地下水は枯れたとみられていたが関西大学との連携プロジェクトを通して地下70~80メートルから飲料用の良質な水がくみ上げられることが分かったことから「天満天神の水」を復活させようと関係者が尽力してきた。
CIMG1710.jpg「同じく大阪天満宮の寺井宮司によるご挨拶」 大阪天満宮では、この水を天神祭をはじめ、七夕神事のおはらい時に活用するほか、ペットボトルの販売収益を天神祭の運営費に充てようと計画が進められており、佐藤会頭が出席した天神祭渡御行事保存協賛会の委員総会でも「天満天神の水」が参加者に披露された。天神祭の運営をめぐっては、近年、警備費などのコストが膨らみ、赤字体質の改善にむけて財源の確保が課題になっていることから、大阪商工会議所でも佐藤会頭が会長を務める天神祭渡御行事保存協賛会への特別会費の増額について検討が進められている。
CIMG1718.jpg「寺井禰宮司より「天満天神の水」の湧水施設につき説明を受ける佐藤会頭(左)」  訪問を終えた佐藤会頭は、「大阪天満宮の神聖な水の復活に関西大学が尽力されたことは大変素晴らしい社会貢献だ。今回、協賛会の副会長に森下俊三氏が就任されたことも心強い。全国三大祭りの一つである天神祭を京都に負けないよう市民の祭りとして盛り上げを図り、外国人観光客(インバウンド)の方にも楽しんでもらえるようにしていくことが大事だ。大阪への外国人観光客数は昨年度、前年比で40%強増加しているが、大阪観光局長にも天神祭に訪れる海外観光客の統計データをとって欲しいとご相談申し上げているところだ。先般訪問した住まいのミュージアムでは天神祭当日の庶民の生活ぶりが再現されているが、外国人にも大変人気のスポットになっている。」と感想を述べた。
 本年も天神祭は宵宮祭が24日、本宮祭が25日に催行される予定。またこの時期に合わせて、7月7日には平成OSAKA天の川伝説イベントで、大川の川面が青色LEDの光で彩られるほか、7月19日に開催される天神祭奉納ドラゴンボート選手権大会は27年間続く名物行事として定着している。このほか天神祭当日に打ち上げられる奉納花火の協賛金募集にあたっては、今年からクラウドファンディングで参加者を募るなど新たな取組みもスタートしており、現在四千発を予定している打ち上げ花火を五千発に増やすべく広く資金を募っている。この日、本殿を参拝した後、佐藤会頭も打ち上げ花火の協賛を行った。

CIMG1722.jpg「毎月1日、10日、25日に施設の扉が開かれ、一般の方も「天満天神の水」で手を清めることができる。」CIMG1724.jpg「昨年7月に建立された記念碑」 CIMG1731.jpg「佐藤会頭が協賛を行った奉納花火3号玉のレプリカ記念品」

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2015年5月28日 毛馬閘門、淀川大堰 (北区、都島区沿い)

IMG_1355.JPG「佐藤会頭が自ら毛馬閘門を撮影。」  佐藤会頭は、本会議所が2月に「淀川の活性化と賑わい創出に向けた提言」をとりまとめたことを踏まえ、5月28日午後、毛馬閘門から淀川に出て淀川大堰などの大川・淀川流域を船上から視察した。大阪経済記者クラブ所属の記者など12名のプレス関係者も同行した。

CIMG1702.JPG「ひまわり船内で経済記者関係者に向けて挨拶を行う佐藤会頭」  当日の運航は大阪水上バス㈱の協力を得てグルメ&ミュージック船ひまわりが担当し、観光ガイドの松永氏が川沿いの施設などを紹介した。松永氏は、「江戸時代には大川(旧淀川)から寝屋川、枚方などの街を通って三十石船が京都の伏見を行き来していた。現在の大川と淀川(昔の人は新淀川と呼び、人為的に開削した)は、明治40年に完成した毛馬洗堰(淀川の水を大川に流す)と毛馬閘門(航行する船舶などが水位調整に利用する)で結ばれており、大阪湾から枚方方面に船舶を運航するには淀川下流から直接遡ることができす、毛馬閘門を利用して迂回するしかない状況にある。また八軒家浜から京都の伏見まで定期航路を開設するには、枚方以北の河川上流エリアで夏季に水深が80センチしかないような箇所がでてくることもあり、川底の浚渫が不十分なままでは舟運定期観光化が難しい。」との説明がなされた。
CIMG1701.JPG「毛馬閘門の開閉を見守る参加者」
 こうしたなか、本会議所では水都大阪の再生に向けて淀川の親水空間を活用した取り組みを近畿地方整備局などに提案。例えば淀川大堰に閘門を設置することにより舟運ビジネスの活性化や上流と下流地域のネットワーク構築を働きかけているほか、淀川沿いの桜街道化や、十三大橋の架け替えにあわせた新たな集客拠点の創出により、淀川流域全体での観光地化を目指すよう求めた。

CIMG1699.JPG「淀川の振興策につきテレビ局のインタビューに答える佐藤会頭(右)」  視察を終えた佐藤会頭は、「今日は淀川に少し入っただけだったが、寝屋川、枚方市の流域まで運航し、雄大な景観を皆さんの目で直接見て頂ければ良かった。琵琶湖・淀川水系の観光地化は自分自身も長年取り組んできたが遅々として進まないと感じている。淀川水系の舟運活性化には浚渫が欠かせないことも良く存知あげており、近畿地方整備局には早くから整備をお願いしてきた。一方、我々も北大阪商工会議所や茨木商工会議所などと連携して、淀川河川敷などで既に実施されている河川エリアのイベントをネットワーク化し、流域における賑わい創出の仕掛けを一緒になって進めていくことが必要だ。これまで琵琶湖淀川水系では、利水(水の利用)、治水(洪水対策)を重視した整備が中心であったが、今後は親水(水に親しむ)にプライオリティを置いた空間的魅力の活用に注力していくべきだ。その意味でも今回の提言を機に、琵琶湖から大阪湾までを結ぶ淀川が関西ブランドとして魅力を高めていけるような努力を行っていきた い。嬉しいことに、会議所の議員会社で木材ビジネスを扱う津田産業は、高槻で植林活動を行っており、魚付き林にして淀川にうなぎが棲息する試みをされている。我々もこうした取り組みを後押しして、支援の輪を繋げていくことが大事だ。また京阪・枚方公園駅近くで販売している’くらわんか餅’は、往来する三十石船に乗船する行商人や旅人などに地元の商人が販売していた昔からの地元名物のお土産の一つだ。こうした観光資源の発掘も今度の課題だ。」と感想を述べた。
CIMG1691.JPG「毛馬閘門から淀川に出たエリアを視察する佐藤会頭(中央)」 CIMG1681.JPG「淀川大堰」 CIMG1671.JPG「毛馬閘門で行われる水位調整(手前の水門内と奥の大川では水位の違いが分かる)」

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2015年5月19日 ㈱いけうち (西区)

CIMG1488.JPG「意見交換が行われた㈱いけうち9階の会議室。向かって右側が㈱いけうちの幹部」 5月19日、佐藤会頭と西支部の西川支部長は、西区に本社のある㈱いけうちを訪問し、事業活動などお話を伺った。

 同社では、産業用スプレーノズル(液体や気体などを形を整えた上である方向に噴射する部品)の高い技術力で様々な事業を展開。噴射する流体の流量、流速、方向、広がり、粒子径など霧の研究開発を行うフォグエンジCIMG1495.JPG「粒子径が10ミクロンの濡れない霧(ドライフォグ)を湿度100%で体験」ニアとして全ての産業分野で様々な用途(塗布、散布、洗浄、冷却、冷房、殺菌消毒、調湿ほか)に応じた霧とそのアプリケーションを提供している。当日は西脇工場で事業化を進めている独自のドライフォグシステムによる植物工場の事例(根の部分に霧をふきかけて水分と栄養分を吸収させるので大量の水や土壌も不要で、軽度な水ストレスにより糖度の高いトマトやイチゴの栽培も可能)が映像で紹介された。このドライフォグ技術は、液体の粒子同士を衝突させて超音波を起こし、さらに細かく砕いて均等の大きさに近づけて噴射するもので、当日は社内のモニタールームで同技術を体感した。モニタールームを出た佐藤会頭は、「粒子径が10ミクロンの濡れない霧(ドライフォグ)は、湿度100%にも関わらず、乾燥し爽やかであったのは驚きだ。夏の暑さのみならず冬の乾燥を解決できるものであり、今後大阪発のハイテク技術ブランドとして世界中に紹介していきたい。」と感想を述べた。

CIMG1501.JPG「ノズル先端部の細かな穴をルーペで視察する佐藤会頭。」  ㈱いけうちの池内博・取締役名誉会長、村上慎悟・執行役員社長らは、「当社は海軍兵学校で用いられた五省を社訓に事業を展開し、霧を発生させるノウハウと、それをいかに使って頂くかというアプリケーションの技術を提供している。創業者は、戦後大阪に出てきて繊維関係を扱う貿易関連会社に勤務。その後1954年に貿易商社として創業し、紡糸口金など日本発の機械部品を輸出。その頃に耐久性のあるセラミックと出会って朝鮮戦争の時期を境にメーカーへと転じ、業績の浮沈はあったが、水を噴霧するセラミックノズルを手掛けたところ、農器具メーカーから農業用防除剤噴霧用ノズルとして発注を受けるなど需要が広がった。親戚の支援を得て1961年、故郷の呉に工場を建設することになった。その後、金属加工などでも苦労を重ねたが良い人材が入社し苦難を乗り超え、1979年には西脇工場を稼働。2005年には他社に先駆けてベトナム・ハノイ工場(タンロン工業団地)を立ち上げた。このほかヒートアイランド対策に有効なセミドライフォグ発生装置は、世界陸上の大阪大会で採用され全国的に認知度が高まった。駅のホームなどでも有効であり天王寺駅や八重洲口の2階でも採用されている。

CIMG1509.JPG「松井代表取締役(右)より冷却システムの紹介をうける。」 今後の夢は、「中近東で植物農園を立ち上げること。既にバーレーンで実験を開始したが、次はサウジアラビアで計画を進めたい。事前調査では、電力コストの安さ、水が少ない、作物が高く売れるなど好条件が整っている。」と自社業況を紹介した。また池内名誉会長は、「ビジネスでは良い運をつかもうとすれば、蜘蛛の巣を広げて網の密度を濃くして自らつかまえにいかなくてはいけない。当社のポリシーは人のまねをしないこと。今年95歳を迎えたので、あと数年で身体が動かなくなるだろう。だからそれまでに夢をかなえて中近東の植物工場が軌道に乗るところを自分の目で確かめるのが夢だ。実現の自信はある。」と力強く述べた。

 懇談を終えた佐藤会頭は、「一言でいうと無(霧)限の可能性を感じさせる会社だ。社是に五省を採用されている会員企業が大阪にあったことにも感激させられたし、池内名誉会長とお会いして元気を分けてもらうこともできた。昨年には名誉会長自ら中近東まで足を運ばれたとお聞きし、事業にかける執念と気力が今日の同社の躍進を支えているのだと良く理解できた。」と語った。

CIMG1513.JPG「老人施設などでも利用されている室内加湿・冷房システムの説明を受ける佐藤会頭(中央)」 CIMG1514.JPG「ドライフォグシステムについて實総務部長より説明を受ける佐藤会頭」 CIMG1532.JPG「7階の同社入口前で池内名誉会長と佐藤会頭による記念撮影。五省が飾られている。」

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2015年5月16日 オオサカ オクトーバーフェスタ2015 (長居公園)

CIMG1380.JPG「ステージ上で繰り広げられる乾杯の歌 アイン・プロージット」  本年は長居公園に場所を移してイベントが開催されているオオサカ オクトーバーフェスタ2015を佐藤会頭が視察した。視察した16日の午後は、あいにく午前中の雨で足下がぬかるむなか、大勢の参加者が会場を訪れており、2,000席用意された座席はほぼ満席。主催者である大阪オクトーバーフェスト実CIMG1382.JPG「会場内の状況を説明する亀岡氏(左)と佐藤会頭(右)」 行委員会の亀岡育男副委員長(大商議員・㈱初亀代表取締役)は、「今年は天王寺公園から長居公園に場所を移しての開催となったが、これだけの大勢のお客様にお越し頂くことができ、この事業が大阪に定着してきたことを実感している。明日の長居球技場でのセレッソ戦では無料入場券を3,000枚配布する予定だ。、本日のこの後の舞台にはセレッソで活躍した元Jリ-ガーの森島氏をゲストに迎えてステージの盛り上げを図る予定だ。」と意気込みを披露した。

CIMG1394.JPG「満席の会場内」 視察を終えた佐藤会頭は、「今日は2日目だが、午後から天候も回復し、これから人出も増えてくるのではないか。昼間にもかかわらずほぼ2,000席が埋まっていてびっくりした。主催者の方も会場を移しての開催などで気苦労も絶えないものと思うが、イベントの定着に向けて様々な仕掛けを凝らしており、多少のハンディキャップやリスクを乗り越えようという関係者の方々のチャレンジ精神に敬意を表したい。今後大阪の名物行事に育てていくには、家族や友人をまた連れてきたいと思わせる仕掛けやリピーター発掘も重要だ。様々な形での事業展開にトライし、最善の形を創り上げていってほしい。」と期待を寄せた。同会場では、ドイツから招待した楽団による演奏なども披露され、15日のオープニングセレモニーには宮城専務理事も参加。本会議所がサポートしている「食の都・大阪グランプリ」のデザート部門受賞作品も出展し、現地で販売を行っている。



CIMG1387.JPG「食の都・大阪のブースを視察する佐藤会頭」CIMG1397.JPG「御菓子司 亀屋茂廣の代表者と記念撮影」CIMG1402.JPG「会場入口前にて主催者の亀岡議員(左)と」

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2015年5月16日 立命館大学 大阪いばらきキャンパス (開設レセプション)

CIMG1326.JPG「大学入口の看板」  16日に立命館大学大阪いばらきキャンパスを訪問した佐藤会頭は、開設レセプションに参加して花を添えた。佐藤会頭の同キャンパス訪問は、建設途中に視察を行った2014年3月11日に次いで2回目となった。立命館大学では、JR茨木駅に近接する旧サッポロビール大阪工場の跡地を190億円で買収して総工費400億円をかけて新キャンパスの建設を進め、本年4月にキャンパス開きが行われた。

CIMG1345.JPG「茨木商工会議所の合田会頭(右)と記念撮影」 レセプションで挨拶を行った佐藤会頭は、「約4年前に、長田理事長が京阪神の商工会議所会頭をお招きなり、本プロジェクトの計画をご相談される機会があった。そしてようやく今日を迎えたわけであり、その意味でも長田理事長にとっては今日は感慨ひとしおではないかと拝察している。このような気宇壮大なプロジェクトを本当に実現され、深く敬意を表したい。川口前総長(現顧問)とは、昨年秋に日経新聞社主催のフォーラムでグローバル人材の育成について意見交換する機会も持たせて頂いた。今回の訪問は昨年3月の視察に次いで2度目であるが、ぜひこのキャンパスから多くのグローバル社会に役立つ人材を輩出していって欲しいと願っている。」と述べた。高橋常務理事は、「本キャンパスでは茨木商工会議所との産学連携に加えて、市民の方がキャンパスを気軽に利用頂けるような仕掛けも設けている。明日17日には合同プロジェクトを計画しているほか、開学記念シンポジウムでは福田元首相にもお越し頂く予定だ。」と取組みの一端を披露した。

CIMG1348.JPG「和太鼓のイベントでオープニング」  訪問を終えた佐藤会頭は、「明日のいばらき×立命館DAYの合同イベントも是非視察させてもらいたい。市民に開かれたキャンパスというコンセプトでフューチャープラザを設けられるなど、随所に新しい取り組みを感じた。茨木商工会議所も会員企業が気軽に立ち寄れるようになれば素晴らしい。茨木商工会議所の旧会館は立命館大学の留学生向け寮に転用されると伺っており、グローバル人材の育成に貢献できる関係を双方で構築されたことに対しても敬意を表したい。」と述べた。



CIMG1357.JPG「多くの関係者が登壇しレセプションに花を添えた。」CIMG1360.JPG「レセプションの冒頭に行われた鏡割り。秋鹿の樽を割る佐藤会頭(左から2人目)」CIMG1366.JPG「乾杯の音頭をとる佐藤会頭」

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2015年5月16日 本町橋船着場 (開設記念式典)

CIMG1269.JPG「シティプラザ大阪前に開設した船着場で式典が開催された。佐藤会頭の左が柏木中央区長」  水と光のまちづくり推進会議会長を務める佐藤会頭は16日に本町橋船着場で開催された開設式典に出席し、その後の記念クルーズでは東横堀川や大川から周辺風景を視察した。本会議所では2005年から東横堀川の水辺活性化策の検討を開始し、翌年から大阪市に対して船着場の設置などを要望してきた。今回の本町橋船着場の開設は、e-よこ会(東横堀川水辺再生協議会 事務局:大商)が長年地道な活動を続けた上で提言活動などを行い、ようやく実現にこぎ着けたもの。2014年には「本町橋船着場開設記念事業実行委員会」を設置し、準備を進めてきた。

CIMG1271.JPG「大勢の地元関係者がお祝いに駆け付けた。中大江小学校6年生は、式典後にクルージングを楽しんだ。」  式典で挨拶を行った佐藤会頭は、「まずは今回の船着場の開設を大阪市民の皆さんとともに祝いたい。東横堀川にかかる本町橋は今年で102年目を迎える。私自身、京阪電鉄のトップであった頃、中之島新線の開業にあわせて八軒家浜を再興しようと取り組んできたが、水都の取り組みが各地でこのように色んな形で受け継がれていくことが大事だ。本日は中央区の柏木区長もお越し頂いているが、古いものにスポットをあてどのように蘇らせれていくかも課題。本日の船着場は良き先行事例になるのであはないか」と挨拶を行い、式典に参列した中大江小学校6年生40名を前に水都の歴史を披露した柏木区長に今後の船着場のさらなる有効活用を促した。式典終了後は、各船会社の協力により行われた記念クルーズにも乗船。柏木中央区長、西口・本町橋100年会会長、加藤・中大江西連合長会長、水都大阪パ-トナーズの関係者らと懇談の機会を持った。
CIMG1272.JPG「佐藤・水と光のまちづくり推進会議会長による挨拶」
 式典を終えた佐藤会頭は、「大阪市内の現役橋として最も古いのが本町橋。本町橋周辺では、こうした歴史や魅力を掘り起しながら水辺を活かしたまちづくりに取り組んでおられ、本会議所としてもこうした活動を後押しして水都大阪を盛り上げていきたい。」と感想を述べた。






CIMG1277.JPG「水都の鍵を披露し、本町橋をバックにに記念撮影」CIMG1280.JPG「当日はジャズボートなど多くの船会社が駆けつけ、本町橋の船着場開設を祝った。」 CIMG1309.JPG「竣工した日経新聞社をバックに記念撮影」

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2015年5月11日 天下の台所・大起水産 道頓堀店(中央区)

 佐藤会頭は、11日に佐伯保信議員(大起水産㈱代表取締役会長)の案内で、急増する外国人観光客向けに開店した同社の土産物店を視察した。

CIMG1226.JPG「店舗周辺環境につき視察する佐藤会頭。左は説明する大起水産の成田部長」  佐伯会長は、「道頓堀には既に店舗回転寿司を営業しているが、今回は千日前筋に面した店舗を4月27日に開業させた。ターゲットはずばり海外観光客。そのため、当社では初の試みとして店内の物販スペースに北海道はじめ全国各地の有名水産物や関連商品を300種類以上取り揃えた。また毎日2回、12時と午後5時に生・本まぐろ解体ショ-で集客を図ると共に、お寿司のバイキングコーナーを設け、新鮮なさばきたてのお造りやお寿司を食べてもらえるようイートインコーナー(購入した商品を店内で試食できるスペース)を設けた。このほか当社開発の日本酒も気軽に試飲できるようにワンコインでの飲み比べサービスの提供も始めた。黒門市場が閉まる夕刻の時間帯からお客様が増える傾向にあるが、店内の品揃えなどを日々見直し、海外観光客の方に気軽に来店してもらえるようにしていきたい。そのため店内の従業員は、韓国、中国、ネパール出身者などで対応することとした。海外ビジターにとって道頓堀の名前は良く知られた存在なので、あえて今回の店舗名も法善寺店とはせず道頓堀店と名付けた。」と意気込みを語った。

CIMG1227.JPG「店頭にて佐伯会長(左)から説明を受ける佐藤会頭(中央)」  訪問を終えた佐藤会頭は、「道頓堀筋と千日前筋の角から南へ数十メートルの立地であり、これから認知度が上がれば来店者数も増えていくのではないか。客数=通行量×立寄り率だ。チョーヤ梅酒など免税品の品揃えの充実により海外観光客を呼び込むための仕掛けも模索していってほしい。南海ナンバ駅界隈でも”ウラなんば”というエリアが流行りとなっているが、まさに今回の土産物店は”ウラ道頓堀”ともいえる場所。周辺に魚屋などもないことから、銀鮭切り身やさんまの開きなど日本人にとってもお得感のある商品も提供されている。佐伯会長にご紹介させて頂いた大阪総合デザイン専門学校の学生の協力を得て、外国人観光客向けのギフト開発や、ユニークなおもてなし方法に磨きをかけ、早く周辺の核店舗となってほしい」と期待を寄せた。

CIMG1240.JPG「天下の台所・大起水産 道頓堀店の入口」 CIMG1232.JPG「佐伯会長(右)から生・本まぐろ解体ショ-向けの本マグロが披露された。」CIMG1236.JPG「免税品コーナーでのチョーヤ梅酒など大阪発ブランド商品の品揃えを視察する佐藤会頭 」

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2015年5月7日 大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)

CIMG1117.JPG「特別展示コーナーの入り口で谷館長(左)から説明を受ける佐藤会頭」  北区にある住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)を視察した佐藤会頭は、谷直樹館長の案内で特別展「天下人の城大工 中井大和守の仕事」や、今昔館の展示物などに関する説明を受けた。

 特別展「天下人の城大工 中井大和守の仕事」は、江戸時代初期に活躍した中井大和守により城づくりがどのように行われたのかを解説。中井家は江戸時代を通じて幕府の大工頭を務めたことから、徳川再建大坂城、二条城、名古屋城、水口城などの絵図や指図、作事関係の文書などの貴重な城郭資料が多数保存されており、修CIMG1142.JPG「住まいのミュージアム10階の展望フロアから視察する佐藤会頭(左)」復作業の貴重な文献資料。多くの城郭は落雷で焼失に至ったケースが多いことから、保管されている多くの書類は重要文化財となっている。今回は大坂の陣400年にちなんで中井家伝来の貴重な資料が多数展示されており、4月25日から5月24日まで一般に公開されている。このほか住まいのミュージアムでは、10階の展望フロアから、江戸時代(天保初年・1830年代前半)の大坂の街並みが実物大で再現されてCIMG1144.JPG「江戸時代の街並みが再現されている。」いる姿が一望でき、9階のフロアでは実際に天神祭の日の町屋での庶民の暮らしぶりを体験できる展示物が多数陳列されている。このほか8階では明治、大正、昭和の時代ごとに大阪の住まいと暮らしの情況が模型で再現されており、川口居留地や空堀通り、堺筋の街並みが紹介されている。

 大阪市立住まい情報センターの村上所長は、「今昔館を訪れる外国人観光客が近年急増している。おかげで来館者総数は一昨年が26万人、昨年は35万人となった。昨年度比倍増した外国人来館者数の多くは韓国、台湾、中国などからのビジターだが、着物の着付けサービスなどが人気を呼び、帰国後に自国でブログにアップして紹介し、さらにビジターが増えるという循環になっている。そのため大阪観光局の協力を得てWIFIサービスを導入し、4ヵ国語の言語で展示物を紹介している。」と海外観光客の受け入れ体制を紹介した。

CIMG1151.JPG「ミュージアムでは着物をレンタルサービスしており大勢の海外観光客が着物姿を楽しんでいた。」  見学を終えた佐藤会頭は、「海外観光客に人気の施設を見出すことができ大変良い機会になった。江戸時代の街並みは細やかなところまで再現されており、谷館長のミュージアムにかける熱意と情熱が、本物感をリアルに演出している。実際に銭湯の再現コーナーも視察させて頂いたが、風呂桶一杯のCIMG1168.JPG「長屋の模様が詳細に再現されている。」お湯がいかに貴重なものであったのか、また壁に貼られた広告など江戸時代の世俗を感じ取ることができ、我々日本人にとっても暮らしスタイルの変遷を知る絶好の機会になった。このほか天神祭の日の祝い膳も意外なほどの質素さであり、日本の風俗・風習を知る上でも貴重な場だ。本会議所では今年度の戦略事業として暮らし産業の高度化に着手しており、大阪らしいライフスタイルを考える上では原点回帰により先人の知恵に学ぶことが大切だとつくづく思った。」と感想を語った。

CIMG1169.JPG「物干し台と火の見やぐら」 CIMG1201.JPG「堺筋本町を復元した模型」 CIMG1205.JPG「川口居留地を復元した模型」

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2015年5月7日 大阪冶金興業㈱ (東淀川区)

CIMG1021.JPG「三木工場の様子などを説明する寺内社長(左から2人目)」  佐藤会頭は新議員として昨年11月から活動頂いている大阪冶金興業㈱の寺内俊太郎社長を東淀川区の本社に訪ね、事業内容の説明を受けると共に懇談の機会を持った。

席上、寺内社長は、「当社の概要と時代考証」という資料で自社の沿革を詳しく紹介。同社長は、「当社は平成28年に創業75周年を迎える。創業者の先代社長は徳島県の出身。大阪に出て繊維関係の商売に従事し、暖簾分けで独立した。しかし戦時中の統制経済で商売ができなくなったこともあって、大分の方からエンジニアの紹介を受け、昭和16年に金属加工のビジネスに転換した。創業当時に扱ったのが呉海軍工廠や川崎航空機などの協力工場としての軍需関連用務。戦闘機飛燕(※)のエンジン部品の表面加工浸炭・焼き入れなどの熱処理を行った。戦後はそのノウハウを活かし民需品の熱処理に転じ、農機具や産業機械部品、各種エンジン部品の加工などを手掛けてきた。1970年にはジェトロ訪米団の一員として視察を行ったのを機に、真空熱処理技術の導入と実用化に取り組み、耐熱材料の熱処理ビジネスに対応してきた。その後金属粉末射出成型(MIM)、金属3D積層加工など、先端技術による金属加工ビジネスを手掛けてきた。近年、金属3D積層加工では医療用機器の製造にも乗り出しており、立体造形による骨造成用補填材など微細加工が求められる骨代替金属製品の加工にも取り組んでいる。


CIMG1042.JPG「大阪冶金興業の会社概要」 元々先代の父親はエンジニアではなかったこともあり、自分自身は関西大学で金属加工の勉強を行い、入社後は指導教官の勧めもあって大阪科学技術センターなどと一緒に産学連携にも早くから取り組んできた。金属材料加工の分野ではアジアの国々との差別化も確保できており、金属粉末射出成型では、タイなどに自社技術の移転も行ってきた。当社の工場は兵庫県の三木市にあり、大半の従業員が現地で加工に従事している。主な取引先には三菱重工業などがあり、相手先工場で委託加工なども請け負っているほか、先方のニーズに応じて先端加工技術を磨いている。医療機器事業は金属パウダーを取り扱っていたのが縁となり、ある方から相談を受けて事業化を考えるようになった。現在では医療機器分野の加工体制を整備するべく、三木工場内に新工場棟を建設しており本年8月には竣工の予定だ。これまでの経験を活かし、母校である関西大学でも多くの留学生を受け入れているベトナム人エンジニアの育成などでもお役にたちたいと思っている。」と自社ビジネスの推移を披露した。

CIMG1055.JPG「ハヤブサを打ち上げた姿勢制御用ロケットの燃料タンクは同社が成型熱加工したチタン合金製タンクが使われている。」 懇談を終えた佐藤会頭は、「軍需産業から平和産業へと転換された経緯もあって戦後経営が苦しい時期もあったとお伺いしたが、興業という文字の通り、常に新たなビジネスを興そうというベンチャースピリッツに溢れたお会社だ。電気代の値上げにより加工費用の高騰など懸念材料もあるだろうが、3Dプリンターを導入した金属3D積層加工は医療分野で今後の有力なビジネスになるだろう。収益化には少し時間がかかるかもしれないが医療関係者とのマッチングなどで市場参入が成功できるようお手伝いしていきたい。MIMの新工場棟が竣工した折にはぜひ現場を見学してみたい。」とエールを送った。

(※)飛燕とは:太平洋戦争中に各務原市の川崎航空機工業各務原分工場(現川崎重工業岐阜工場)で造られ、日本陸軍に採用された三式戦闘機。現存する唯一の機体が、2016年秋から、かかみがはら航空宇宙科学博物館(各務原市下切町)に展示されている。
CIMG1092.JPG「骨関節のジョイント用に製造された金属製品のサンプル」CIMG1116.JPG「会社前にて記念撮影。左からMIM部森様、寺内代表取締役、佐藤会頭、北垣常務取締役」

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